ユメミダケ心中 第回
恭子は、征一から、いや厳密に言うなら、ユメミダケを箸で掴んだ征一の手元から視線を逸らすことが出来ず、声も出せずに鼻汁にまみれた手拭いを握り締めていた。
征一は、摘み上げたユメミダケをゆっくりと口元近くに運ぶ。
しかしその眼はユメミダケには一瞥もくれることなく、恭子を真っ直ぐに見つめたままだった。
パチッ
煉炭か網の辺りで何かがはぜる音がした。しかし、征一も恭子も全く表情を変えることはない。
ユメミダケを口元ほんのちょっと手前で静止させ、征一はもう一度恭子に問うた。
「ほ、本気なんですね」
征一の言葉を聞いても、恭子は身じろぎもせず、何の言葉を発する気配すらない。
沈黙が、また訪れた。
恭子は、何ゆえ言葉を発しないのだろうか。
この緊迫した場面で恭子が何を考えていたのかと言うと、意外なことに、実は何も考えていなかった。見とれてしまっていたのである。征一に。
当初の恭子は、前述のように征一の真意を探ろうとの意図から、このように酷いことを言い続け、征一を試そうとしたのだが、それはそれまでの恭子が演じてきた生き方、自分が傷つかない為に他者に嫌われようとする生き方に、通ずる、或いは、極めて近い発想であった。
そして、大方この中年オタクは、慌てふためいて人間の底の浅さを露呈し、大醜態を晒すだろうと考えていた恭子は、それを嘲笑った当の本人も含め、お互いに本当に惨めとしか言いようのない結末を予測していた。
ところが、恭子の意に反し征一は、覚悟を決めたかのように淡々と恭子に語りかけ、かのユメミダケにさえ動じないのである。
恭子は驚嘆し、感激した。
そして、恭子にはユメミダケを持つ征一の姿が、自らに対する一途な愛の証としての厳かな儀式を執り行う騎士(ナイト)のように思えてしまったのである。
(きっとこの人なら、信じられる)
恭子の頭は、征一でいっぱいだった。飽和してしまった。
しかし、天啓のように突然舞い降りたそんな思いが、瞬時に征一に伝わる筈もない。
数十秒は過ぎたろうか。またパチッと何かのはぜる音がした。
一般的には、問われても返事をしないのは、征一の申し出を拒否したと考えるのが普通である。少なくとも征一は、そう解釈した。
ふうっとひとつ息を吐いて、征一は、軽く恭子に会釈をした。
そして、やおら箸先のユメミダケを1つ口中に放り込んだ。そして、更に2つめのユメミダケを箸で摘もうと手を伸ばす。
それすら恭子は、映画のワンシーンでも見ているかのように、その行為が現実として受け入れられずにいた。
ところがしかし、次の瞬間、恭子の思考回路が一気に繋がった。
ユメミダケ、征一、責任、致死量。
征一が、死んでしまう。
征一が、死んでしまう。
征一が、死んでしまう。
「だ、駄目ぇっ!食べちゃ駄目ぇっ!」
恭子の叫びは、まるで悲鳴の様だった。
「馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ!お願い、食べないで、食べないでぇ」
すんでのところだった。
征一は、危うくユメミダケを吐き出した。吐き出されたユメミダケが、畳の上、コロコロと転がっている。
ゲホゲホ、ゲホン
むせ返った征一の声と荒い息遣いが、恭子を現実の世界へと呼びもどした。
第20回「男女の転の参」へつづく
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