ユメミダケ心中 第15回 男の転の参
ユメミダケが焦げかけているのに気づいた征一は、箸でそれらを摘んで網の箸に移動させようとするのだが、ぶるぶると震えてしまう指先が、なかなかそれをさせてくれない。掴んでは落とし、掴んでは落としを繰り返す。
「あ、あんたの言ってる意味が、アタシ、分かんない」
ユメミダケと格闘している征一を横目に見て恭子が続ける。
「最初は死ぬ気なんてなかったあんたが、お母さんが亡くなって死んでもいいって思うようになって、で、毒キノコを見つけた途端嬉々として死ぬ気満々になった。でも、アタシとの結婚が頭をよぎったら、急に死ぬのが怖くなった?
なによ、それ。乙女心と秋の空って、よく聞くけど、中年オタクの気まぐれなんて諺にだってないわよ。
大体、な、なんでアタシと結婚しようなんて発想が出てくる訳?心中なんてのは、人生の終焉よ、終わり。それに引き換え、け、結婚ってのは、新たな始まりよ。人生の両極端じゃない。終着と出発、絶望と希望、全く正反対じゃないの。ば、馬鹿みたい」
ユメミダクケをようやく網の端に移し終えたところを見ると、手の震えもだいぶ収まってきたのだろう、征一も少しは落ち着いてきたようだった。
「今のあなたの言葉は、まさにその通りです。や、やっぱり僕の思ったとおりだ」
そう言って征一は、ゆっくりと箸を置いた。
「僕らのしようとしていたことは、心中ではなく、2つの自殺に過ぎなかった。それは、2人には共通の思い、例えば、あ、愛だとかが無くて、ただ1人で死んでいくのには寂しいとか、勇気が出ないとか、そんなのが主な理由だからだというのは、さっきも話しました。
でも、僕は今日あなたと初めて会って、朝から半日接してみて、あなたが少しずつ本当の心を見せてくれて、多分にお酒のせいと言うのもあったのでしょうが、あなたが他の誰にも話したことの無い話をしてくれた時、共感と言うか、そんな気持ちが湧いてきている事に気づいたんです。
特に、あなたが他人に嫌われるように仕向けていたって話、いえ、あれは共感以上のものでした。共鳴・・、と言うべきかもしれません。そう、共鳴です。
今まで僕が分かって欲しかったのに他人に分かってもらえなかった部分、それをあなたなら分かってもらえるかも知れない、そんな風に思えてきたんです。
カッコつけ過ぎかもしれませんが、今まで僕はずっと砂漠の中を一人きりで歩き続けてきたみたいでした。表面上はたくさんの人と出会い、暮らしてはいましたが、それらはみんな蜃気楼みたいな見せかけだけの存在で、僕の体をどんどんみんながすり抜けていってしまうんです。通勤時間帯の満員電車の混雑の中でも、職場である学校で生物の授業をしている時でも、帰り道のスクランブル交差点の雑踏の中でも、僕は一人きりでした。
会話しているように見えても、何も伝わらない。叫んでみても、誰も振り返ってくれない。腐るほどの人がいて、溢れかえっているのに、彼らは無機質な砂のような集合体で、そんな砂粒が集まって見渡す限り続いている。まさに荒涼とした砂漠でした。
でも、そんな砂漠の中で、共鳴できる存在がいた。僕は初めて実体のある存在に出会えたのかもしれない、そう感じた瞬間、僕は2人がこれから行うことが集団自殺ではなく、純粋な心中に成り得ることを確信しました。昇華したと言ってもいいでしょう。
そして、その共鳴は、僕の本能、こころの中に響き渡って、僕の中の秩序や意思や弱さを乗り越えてしまい、あの言葉が口を衝いて発せられたのです。け、結婚してくださいと。
でも、その瞬間からなんです。その瞬間から僕は、それまで漠然と死んでもいいと思っていたのに、死に対する現実的な恐怖を覚えたんです。それがなぜだったか、さっきまで分かりませんでしたが、あなたの言った「終着と出発、絶望と希望」という言葉で、全てが噛み合った、合点がいったんです。
僕はあの瞬間、僕は生きたいと感じていました。死にたくない、生き続けたい。絶望して終わりを迎えるのではなく、希望に向けてあなたと出発したい、生きたいと思ったんです。生きたいんです、生きたいんです、あなたと、生きたいんです」
恭子は、網の端に並んだユメミダケを凝視したままだった。
第16回「女の転の壱」へつづく
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