25 美しき母の主張
「父さんはね・・・」
飯山君のその言葉が聞こえたわけではないのだろうけれど、さっきまで競うように吼えていた犬の遠吠えが、止んだ。
「母さん以上に優しかったんですよ。でもそれは、今、思うとなんですけれどね」
さっきまで父、母と言っていたのに、知らず知らず母さん、父さんと言ってしまったのに気づいたのか、飯山君は照れたようにイヤミのような髪型の頭を掻き、フケが一片、ゆあーんとしたテーブルに舞い降りた。
「僕にとっての父は、あの父だけですよ。僕を、本当に可愛がってくれた、あの大工の父です、宇都宮の」
「・・・・・・・・・・」
私たち夫婦は、ただ、黙るしかなかった。
「ほら、テレビのドラマなんかで、あるじゃないですか。瞼の父とか、父を訪ねて三千里とか。遺伝学上の、DNAの根源としての父親に会いたいとかって。聞くも涙、語るも涙みたいな。でも、僕、そんなこと思ったこと無いんです。 本当に、一度だって、無かったんですよ」
瞼の父はまだ許せるとして、原作に反して三千里も父を訪ねるなと思うのだが、私は、飯山君が頑なに、そこまで両方の父を庇うほどに、それが彼の、本心の裏返しなのではないかと思ってしまうのだった。
「さっきも言いましたが、僕がその話を聞いたのは、2年前の三回忌の時なんです。だったら仮に、僕が何らかの行動を起こそうとしたって、もう手遅れなんです。だって、23年も前の話なんだし、母さんはもういないんだし、今、何かが明らかになったって、僕の自己満足だけで何の意味も成さないでしょ?なんたって、全てを宇都宮の父が、あの父が、全てを、23年分も被ってくれてるんですからね。もう、そこで終結してる訳でしょ?僕が、それを覆そうだなんて、出来っこありませんよ」
「・・・・・・・・・・・・・」
「いえ。それだけじゃないんです。父は、知らないんです、マジに。 本当に。母は、頑なに、何も話さなかったらしいんです。父が、どれだけ、どれだけ、どれだけ問い詰めても、母は、最後まで、その事実を認めなかったそうなんです」
「認めなかったって・・・」
「そ、それ、どういうこと?」
私たち夫婦の問いに、飯山君は頷いて、ゆっくりと答えた。
「母は、このお腹の子については、全く身に覚えがないって、真顔で父に言い続けたんだそうです」
「ふぇっ?」
「ふぉっ?」
私たち2人は、同時に息を飲んだ。
「そ、それって、どういう意味?」
妻が思わず、また、身を乗り出したので、テーブルがゆあーんと揺れて、飯山君もまたその反動でゆよーんと揺れた。彼は、揺れながら応えた。
「そのまま、聞いての通りです。母はこう言ったそうです。確かに妊娠してはいるけれど、それに至るような行為は、一切した覚えがないと。出会った当初も、結婚後も、更には、僕を出産した後まで、一貫して、徹頭徹尾、極めて真剣に、揺ぎ無く、母は、父に言い続けたんだそうです、さっきの台詞を・・・」
「だ、だって、そんなこと・・・」
妻の言葉を、私が継いだ。
「そ、そんなのあり得ないよ。科学的にも、まるで考えられない。実際、とても信じられるとか、そういったレベルの話じゃない。でも、まさか、君のお父さんは、それを鵜呑みにして、そんな馬鹿げた話を信じてたとでも言うのかい?」
そんな私の質問には、流石に飯山君も笑ってしまった。
「ま、まさか、そんな・・・。僕は生前の母に対する父の態度を、特別な思いを持って見ていた訳ではないですし、ましてや、分析してた訳じゃありませんから、はっきりしたことは言えません。でも、過去の記憶を手繰って、それを繋ぎ合わせてみるとすれば、父は、信じようと、努力していたような、今となっては、そんな気がして仕方ないのです」
妻は、テーブルの天板をしっかり掴んで、ゆあーんとした揺れを止めた。
「お父さんは、信じようと、努力を、していた?」
暫くぶりに遠吠えがひとつ、換気扇のプロペラを震わせた。
第26回「教祖からの着信」へつづく
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