22 聖母は旅役者
先程までもじもじしながら「あのあの」と言い淀んでいた飯山君は、一体何処へ行ってしまったんだろうと、そう思ってしまった。全く滞ることなく、いや、むしろ、微かな雄弁ささえ漂わせて、彼は語り出したのである。
「大げさでもなんでもなく、母は、完璧に近い女性でした」
仁王立像から笑い閻魔像にメタモルフォーゼした妻が、(何言ってんのよ)という具合に小鼻に皺を寄せた。
「父はね、小さい頃、僕によく言ったんですよ。お前が嫁さんを貰うんなら、母さんと比べちゃいかん、と。母さんはな、特別なんだから、と。あんなに綺麗なのにそれをひけらかしもせず、周りの誰にだって、特にお年寄りや子どもに優しくって、料理や裁縫、家計の遣り繰りは、非の打ち所が無いし、そのくせ、畑仕事や力仕事だって厭わない。
そんな人でした、母は。化粧っ気が無いのに、透き通るように綺麗だった母は、僕らの自慢の母さんでした」
飯山君にここまで言われてしまうと、普通なら嫌味とも言える、この実母へ過大なる賛辞を、私は、自分でも全く不思議なのだが、ストレートに、素直に、まさに、ありのまま受け止めていた。
一方、飯山君のお母さんの爪の垢を5万倍くらいに濃縮した上、煎じずにそのまま生一本で、一升は飲ましてやりたい妻は、この話をどんな風に聞いたのだろう。
ふと視線を妻に向ければ、妻は、飯山君となぜかシンクロして、無の境地に誘われたかのようにゆあーんゆよーんと揺れており、そこには、かの憤怒の仁王立像、笑い閻魔像の如き妻は、既に存在してはいなかった。
「小学校の頃、僕は、授業参観が楽しみでした。日頃は大人しくて、目立たない僕だったんですが、その日ばかりは、僕はクラスの注目の的だったんです。それは勿論、母が来てくれたからでした。
けっしてお洒落な服を着ていたわけではありませんし、素顔に口紅をすっと引いただけの母でしたが、母が教室の隅に立つだけで、クラスにどよめきが起こって、教壇の教師までがドギマギしてしまっているのがわかりました。
僕は、授業参観の前の晩は決まって、寝床で添い寝してくれている母に「明日は来てくれるよね」と、何回も何回も念を押したものでした」
「へえ、まるでちょっとしたスターよね」
「こ、これ、父と母です・・・」
そう言うと飯山君は、尻のポケットの定期入れから、一葉の古びた写真を取り出し、私と妻のどちらに渡すか迷った末、揺れるテーブルの上にそっと置いた。
私たち2人は写真に顔を寄せ、ゆあーんゆよーんという揺れに合わせて、視線と顔を左右に追わせて、それを見た。
「あ、あら本当、き、綺麗・・・」
「うん。 女優さんって言っても、みんな信じるだろうね」
恐らく、小学校の入学式の朝にでも、家族で撮った写真なのだろう。真ん中の大人しそうな男の子が飯山君で、その男の子の左で照れくさそうに笑っているのがお父さん。そして、右で微笑んでいるのが、自慢のお母さんなのだが、飯山君のお母さんは、お世辞抜きに、本当に綺麗だった。これなら教壇の先生だってしどろもどろになるはずだ。
いや、綺麗だけで片付けてしまっては、勿体ない。優しそうでいて、それでいてそこに、何と言うか、艶のようなものがある、それは色んなものが混ざり合った不思議な美しさだった。
一方、お父さんはと言うと、
「お父さんは、え、ええと・・・」
私は、そこまで言った妻が、次の言葉を継げないのもわかる気がした。失礼を承知で言うのだが、飯山君のお父さんは、いかにも大工さんという具合の実直だけが取り柄という感じの人で、華のあるお母さんとは、どうにも釣り合いが取れないのである。
「お、お父さんとお母さんの、そう、馴れ初めなんて聞いちゃっていいかしら?」
妻も、彼女独特のアンテナに何か感じるものがあるのだろう。先程までの鼻息の荒さは、何処に行ったのだと言うくらい、妙に飯山君に気を使っている。
飯山君は、テーブルの写真に再び視線を落とすと、ポツリと言った。
「その昔、母は、旅役者でした」
第23回「飯山版 ヨゼフとマリアの馴初め」へつづく
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