21 語り出した救世主
かの昔、「クレタ人は嘘つきである」と、エピメンデスが言った。ところが、当のエピメンデスもクレタ人であったからおかしなことになる。
なんとなれば、クレタ人であるエピメンデスは嘘つきな訳で、「クレタ人は嘘つき」発言も真っ赤な嘘、出まかせということになり、クレタ人は嘘つきではない、と言うことになるのである。
さすれば、かの「クレタ人は嘘つき」発言は真実と言うことになり、クレタ人であるエピメンデスも嘘つきということになり・・・、という堂々巡りが、所謂、エピメンデスのパラドックスである訳だが、妻、民子の飯山君に対する詭弁も、なんの、負けてはいない。
飯山君が救世主であるのなら、彼は世の為にあるべきで、「私」の部分であるプライバシーさえも自身のものではなく、当然にそれは、史実として世に公開されるべきものである。
しかし、今まで起きた一見奇跡と思われているものは単なる偶然で、彼は、ひょっとすると運がいいだけで救世主でないかも知れない。
飯山君が救世主であるのか、そうでないのかを判断する為には、彼の生い立ちや家族関係等、彼の赤裸々なプライバシーを第三者がこと細かく検証することが必要とされるのであり、つまり、どちらにせよ、彼に「過去を語れ」と、強硬に迫っているのである。
しかもこれは、我々夫婦が私利と私欲を抜きにして、あくまでも善意として、あくまでも悩める飯山君の為に、心を鬼にして聞いてあげるのだと、ここぞとばかりに恩まで売っているのだ、妻は。
可哀想に飯山君は、その思考を行きつ戻りつさせながら、妻により強引に塞がれてしまった迷宮の出口を探している。そう、本来のパラドックスと違い、妻の論理は、ある種、力技で強引に押さえ込んだ感が強い。
そもそも飯山君自身は、自らが救世主であることを望んでいるわけでもなく、ましてや、世に伝えたい自らの主張などあるわけもない。彼はただ単に、度重なる間違い電話に迷惑、困惑していたに過ぎず、そのうちの1本である妻の電話に脅迫され、ここに誘き寄せられたのである。
彼が救世主であることを望んでいるのは、いや、と言うより、彼の「奇跡」、つまりは、体重の減少を筆頭に現世利益を求めて止まないのは、白々しい世界平和の言葉などとは無縁な妻以外の何者でもなく、哀れキューセーシュの飯山君は、脅された末、妻に炊きつけられて、一瞬とは言え、無理矢理そんな気にさせられてしまい、たった一言の失言から、このように余りにも深い墓穴を掘ってしまったのである。
この有無を言わせぬ強引な出口の無い二者択一も、妻が彼を論理的に追い詰めたと言うより、力任せに蟻地獄に突き落としたと言った方が的を射ているのではなかろうか。
「さあ、メシヤマちゃん。人類の未来の為にも、貴方の未来の為にも、ここはひとつ、辛いところを、ぐっと堪えてね、ね、ね」
妻は憤怒の仁王の如き眼のまま、にこやかに笑いかけるのだが、それがなお一層、実に怖ろしげなのである。
「貴方のこれからの告白が、60億の人類を救うかもしれないのよ。お願い、世界に溢れる貧困や憎悪、地球の荒廃を救って。もう、貴方しかいないのよ」
第一人称がさっきまでのあんた呼ばわりから、いつしか貴方に代わっている。押しても駄目なら引いてみな。妻は、浪花節の歌詞に歌われているような手法で、或いは、ベテラン刑事の「カツ丼食うか?」の手法で、飯山君を落としに掛かっているようだ。
妻は飯山君の肩に、やさしく手を掛けたのだが、その太い腕の重みで、テーブルごとゆあーんと揺れてしまった彼は、極めてテンポの遅いメトロノームのように暫くの間、ゆっくりと左右の揺れに身を任せていた。
そして彼は、やがて、ぽつりぽつりと語りだしたのだった。
「母さんは、母は、やさしい人でした」
第22回「聖母は旅役者」へつづく
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