5.助けを請う救世主
誤解を恐れずに言うならば、「あなたは、SかMかのどちらですか」と他人に問われたとしたら、私は、M系である、と回答する、気がする。
それは、出鱈目とも言うべき妻との日常的な会話に耐え、むしろそれを、楽しみや喜び、愛情にまで昇華させている自らの姿に、ある種の充実感と言うか、誇りさえ見出していることからも、実は、そうではないかなと、最近、思い始めているのである。
そんな、マゾヒスト的な側面を多少ながらでも持ち合わせた私であるのに、なぜかこの、目の前の情けなさそうな赤塚不二夫先生作のイヤミに極めて似ている青年(以後青年イヤミ君と言う)を見ていると、隠し持っていたサディスティックな感情が、めらめらと燃え上がってきてしまうのを、どうしても、どうしても、どうしても抑え切ることができない。
青年イヤミ君は、自分のことを睨めつけている私が、憮然としたまま一向に言葉を発しないものだから、余計にへどもどへどもどしてしまい、「あ、あの、あの、あの・・・」と、相変わらず、あのあのばかりを繰返している。
更に彼は、この緊張感に耐えられなくなったのか、脚を弱々しく内股気味に折り、その色褪せたジーンズに喰い込んだ右手の指先が、その生地に、ゆっくり、円の軌道を描き始めたではないか。
情けない、全く情けない。出たよ、書いてるよ、「のの字」。図らずも先ほど妻の言うところの、恥知らずで能無しの神様の象徴である、この人差し指での「のの字」書き。こんな救世主では、妻も決して許すまい。
私は、ここで初めて青年イヤミ君に声を掛けた。自分でもびっくりするくらい、残忍そうな声だった。
「君ねえ、キューセーシュと申す者ってさ、一体全体、何しようと企んでんだ?頭、おかしいんじゃないのか?つまんないチラシ不法投函してさ、他人の弱みに付け込んでウチの奴とか、悩み多き弱い人間を鴨にしようったって、そうは問屋が卸さないからな」
青年イヤミ君の「のの字」が止まって、気をつけになった。
「い、いえ、あ、あの・・・、いえ、あの、違うんです」
彼は、相変わらずあのあの言っているが、違うって、どういう意味なんだよ。
「君は、キューセーシュじゃないの?」
「い、いえ、そうみたいなんですが、実は違うんです」
どっちなんだよ。ええい、ホントにいらいらさせる奴だ。
「あの、僕は、キューセーシュになってしまったと言うか、いつの間にか、されてしまったのではないかと思うんですが」
「ないかと思うって、君ねえ」
この期に及んで、貴様、なめてんのか?という私の思いが、顔面に表情として即座に表れたのだろう。男は、へどもどしながらも、先程より力強く言い放った。
「あの、いえ、聞いてください。貴方の奥さんを鴨にしようだなんて、そんな、そ、それは、誤解です。違うんです。あ、あの、昨日のお電話でも、ご説明したつもりなんですが、なかなか奥さんに理解していただけなくって、あの、説明の途中だったんですが、い、一方的に、奥さんから捲くし立てられちゃって。救ってくれ、救うべきだ、救わねばならん、すぐ来いって。早口でこちらの住所告げられて、すぐ来なけりゃ、呪ってやる、丑の刻参りだって、そう言われて、電話切られちゃったもので・・・。
で、夜分で失礼だと思ったんですが、の、呪われても困ってしまうので、今日のバイト終えて、その脚で伺わせていただいたんです・・・」
「・・・・・・・」
私は、暫く声が出なかった。青年イヤミ君も、哀れな、妻の被害者だったのだ。
私は、法律上も配偶者であるし、あの出鱈目は日常茶飯事だからいい、慣れている。しかし、この青年イヤミ君は何の面識もない妻から架かってきた電話で、いきなり聞く耳持たずに、闇雲に、一方的に捲くし立てられた末、丑の刻参りで呪ってやるじゃ、流石に可愛そうだ。なるほど、どおりで最初から、へどもどするわけだ。
すまなかった。本当に、すまなかった。落ちついて、正気を取り戻してみれば、イヤミ面以外は、なあに、それなりにまともな奴に見える。とても人に危害を加えるような輩には、見えないじゃないか。
妻の横暴さを通じて、私はこの青年イヤミ君に対して、急激に憐れみと言うか、同情と言うか、そう、ある種の連帯感と言うべきものを感じ始めていた。言わば、同志である。
となれば、自ずと物言いも変わってくる。
「そ、そりゃあすまなかった。言い訳するんじゃないけど、ウチのってさ、こうと思ったら周りが見えなくなっちゃう性質(たち)でね、直情径行っていうか、激情型って言うのかな、はは。よっぽど君に期待してるんじゃないかな。そう、きっと、その裏返しなんだろね」
青年イヤミ君は、滅相もないという具合に、首を左右にプルプルと振ってみせた。
「そ、そんなに、期待されても、僕、困ります。期待になんか絶対応えられる訳ありません。だ、だって、僕、凄く困ってるんです。もう、本当に悩んでるんです。助けてほしい、と言うより、相談に乗っていただきたいのは、実は、あの、僕の方なんです・・・」
この男は、一体何を言い出すのだろう。
「僕の方って、なに?君、相談に、乗って欲しいの?」
男は、上目遣いで私を見ながら、こっくりと頷いた。
救世主が我が家に、助けを請いに来た。
第6回「いつの間にやら救世主」へつづく
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