【エッセイ】百歳のことば
今年は特に暑かったのか、老いの入り口に立つ身にこたえたのか、まだまだ暑さのまといつくうちに、もう敬老の日がやってきた。
テレビでも特集を組んで、元気な百歳の方々を映し出していた。
百歳で毎日走り、あちこちのマラソン大会に出ている人、百二歳で車を運転している最年長ドライバーなど、誰にでもがんばればできるというものではないし、手放しで賛成できるものでもない。
しかし、広島県の小さな町に住む現役のお米屋さんには、感心したり、教えられたり、頷かされたりした。本当に立派な人間というのは、さりげなく片隅に生きているものだと思った。
まず、心身ともに健康だから年寄りくさくない。今年百歳だというが七十代前半ぐらいにしか見えない。毎日店に出ていて現役である。接客もするし、電話の受け答えもごく自然だ。米屋だから生産地や値段の表記も自ら書いている。しかも達筆である。暇な時は店番しながら本を読んでいるという。
九十八歳の時、奥さんを亡くしたが、嫁と三人の孫娘と暮らしている。時には四人の女性陣を前にして
「惚れるには、ちょい惚れ、気惚れ、底惚れの三種類がある。一緒になる人は気惚れでなくちゃならん」などと訓示を垂れる。
「底惚れじゃ駄目ですか」という質問に
「底惚れは活気が出ん。物が見えんようになる。その点、気惚れはお互い元気が出て、にぎやかになる。ちょい惚れはすぐ駄目だ!」
と四人を眺め回し、自分も一緒に笑っていた。
ああ、そうか、惚れるというのは、余りにそのことに夢中になって他のことを忘れるということだから、一生ともに暮らす相手は触発されて、お互いが成長する相手がいいんだーーと、価値観の一緒の人という意味かと納得。
百年の経験から得たことばには重みがあった。
《終》
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