【エッセイ】同窓生
ある調査によると、小学三年生はサンタクロースの存在を八〇パーセント信じていて、五年生になると八〇パーセント信じていないという。すると四年生あたりが大人と小人の境目だろうか。
私はちょうどその頃、終戦を迎えている。世の中の混乱に加えて、自分自身の混乱期でもあったためか、その頃の思い出は強烈に心に焼きついていることが多い。
二、三ヵ月前のことである。大通りを歩いていると
「同窓会、こなかったじゃん」と呼びとめられた。
小学校の時の同級生である。この辺りにすんでいることは知っていたが、男性ではあり遠くから顔が合うと頭を下げる程度だった。通りを歩いてくる私を見つけて、家の前に立って待っていたようだ。
「Yちゃん知ってるら? 彼女らと一緒に学芸会でやった話に花が咲いて、盛り上がってさ、あんたの話もいろいろ出たんだよ」という。
私は一泊の同窓会の案内状をもらった時、考える余地もなく『欠』に丸をつけて投函したのを思い出した。
「ああ、あの劇でYちゃん二番を独唱したんだよね。張りのあるいい声だった」
「いまでもカラオケうまかったよ。すっかり貫禄ついちゃったけど……」
それは、戦争で途絶えていた初めての学芸会で先生も手探りだったのか、昔の修身に出てくるような話で一種の音楽劇だった。
級長の彼はその劇の主役で、四月生れで体の大きな私はそのお母さん役だった。
「ああ、なつかしや、なつかしの我が子、抱かんとせしが待てしばし……あれ?まだ覚えてる」
その時の台詞や歌詞がすらすら出てくるのは不思議だった。
「溢れる涙、じっとこらえて我が子を見ればなつかしや、旅に疲れたそなたの顔に温かき涙がはらはらと―おって、Yちゃんが歌ったんだねえ」
「まだ横に並んだ合唱隊の子らも、つぎの当たったズボン履いてたっけね」
話はあちこちにとんだ。長男の彼は家業を継いでブティックの店主になっていた。この街も大型店の進出と長引く不景気で小売店も大変な話や、二人の息子さんの一人が医学生で学費が大変、一人は運動中のけがで今長期療養しているのだと溜め息をついた。
「次には出てきなよ」
年よりずっと若く見えるおしゃれの彼でも、いろいろなものを抱えて生きてるんだと道路の立ち話のまま別れた。
帰り道、透明感のある高い声で、合唱隊の前列中央で直立して独唱したYちゃんを思い出した。
それはまだ戦争中だったから二年生か三年生の初めの頃だった。Yちゃんのお父さんが戦死した。その朝、一時間目は授業をやめて、クラス中でYちゃんの家の前の道路に四列に整列した。先生と、N君と私が代表して家の中に入り玄関脇の四畳半に祀った文机の上の写真に線香を上げた。礼をするとき、事前に先生に教えられたように家の前に並んだ同級生も窓越しに合掌し一礼した。お父さんの写真はお兄さんのように若かったのを覚えている。白い割烹着をかけたお母さんと膝をそろえて坐ったYちゃんは、一緒に丁寧にお辞儀をした。いつも元気印のYちゃんとは別人のようだった。
その出来事はいつまでも頭にこびりついていた。大人になってからだが近くに用事があった。私は少し遠回りをしてYちゃんの家の前を通ったことがある。古い平屋建ての家は新しい二階建てに建てかえられていた。近づいてみたがYちゃんの家の表札の苗字ではなかった。
Yちゃんが元気なカラオケおばさんになっていると聞いて本当に嬉しかった。同窓会に行けばよかったとも思った。私はこれまで同窓会というのに一度も出たことがない。振り返るのが嫌いだった。いつも追い駆けられているかのように前に進むことばかり考えてせかせかと生きてきてしまったような気がする。
二、三日前の夕刊に、評論家で作家の丸谷才一さんが十年ぶりに長編小説を書いて話題になっている。その取材の中で氏は(人間の最高の遊びは考えることだ)と言っている。
考えることなら年をとっても、身体が少々ガタがきてもできないことはない。ただし、そのためには、ボケないことと、元気な時にいい種をたくさん播いておく必要があると思った。
歴史をたどって江戸の花見にも行ける、室町時代の逞しいおかみさんにもなれる、紫式部と対談もできる、国境も次元さえ超えられるかも知れない。
まずとりあえず、身近なところから新しい体験として、次の同窓会に出掛けてみよう。
《終》
☆ランキングに挑戦☆
アルファポリスさんの「Webコンテンツ」、にほんブログ村さん、人気ブログランキングさんに挑戦中。「うふふ」とか「ほろっ」とか「なるほど」と感じたら、押してくださいね。 現代小説 こころ王国 まりなさんと王様
児童小説 ケンと シロと そしてチビ
現代小説 お取り寄せ救世主
児童小説 ツノナシオニ
にほんブログ村さんへ
人気ブログランキングさんへ