やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年11月26日

【エッセイ】上田城址


【エッセイ】上田城址 


 作家の池波正太郎さんが亡くなられた時、こんなに著名な人の作品を一冊も読んでいなかったのに気がついた。買い物の帰り図書館に寄りどうせ読むなら大作をと『真田太平記』を借りてきた。読み出すと面白くておもしろくて、あっという間に十六巻を読み切り、ノート一冊びっしりの備忘録というか覚書が残った。
 そして今年の秋、四人の孫全員の七五三があった。その上国勢調査の調査員やその後の事務に臨時職員として一ヵ月市役所へも勤めた。夫も定年後の嘱託以外の仕事が入り、本当に忙しい日が続いたので骨休め旅行はすぐさままとまった。
 私にとって真田昌幸・信之(のち信幸)・幸村さん一家はまるで知人のように身近に感じていた。憧れの上田城を見て、近くの別所温泉へ一泊とすぐに決めた。予定の少ないのんびり旅にした。
 上田城は天正十一年(一五八三)真田昌幸が築城した実戦のための平城であった。千曲川とその断崖を西の要塞とし、本丸には七ヵ所も物見櫓を作り堀は三重に巡らせていたという。この城が天正十三年(一五八五)徳川軍八千を迎え撃つことになる。世にいう上田合戦である。
 この時の昌幸の采配は池波正太郎の筆で目に浮かぶように描かれている。二の丸の大手まで敵を引き付けておいて奇襲に出る。徳川軍は散々だったと、この戦いに参戦していた大久保彦左衛門は『三河物語』の中に敗戦の様子を書いている。
 この城はもう一度歴史に残る徳川との篭城戦で勝っている。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦である。昌幸と二男幸村は西軍に味方して上田城に篭城、徳川の重鎮本田忠勝の娘を娶った長男信之は徳川秀忠率いる東軍に与して親子は敵と味方に分かれた。東軍三万八千に対して真田はわずか三千数百。しかし策士・昌幸率いる上田城はなかなか落ちず関ヶ原へ心の急ぐ徳川軍は無駄な七日間を過ごして関ヶ原に駈け付けた時にはもう合戦は終わっていた。秀忠は面目を失いこの時の恨みは永く響くことになる。城は守ったが西軍は負けて、昌幸・幸村は上田を追われ高野山九度山へ流された。
 そして東軍の武将として戦った信幸は、一度は上田城主になったが松代に移封された。しかし信幸は名君でやせた土地を富ませ教育にも力を入れ、徳川の嫌がらせもうまくかわして九十三歳の長寿をまっとうした。もしかしたらこれも天下分け目の戦の後、どちらが勝っても血を残すための昌幸の策略だったかも知れない。
 南櫓だけが公開されていたので入場券を買うと冬の十二、一、二、三月は休館とのこと、おまけに水曜休館とある。今日は十一月三十日・木曜日である。ついている。
 上田城は真田・仙石・松平と城主が変わったが廃藩置県後、明治七年払い下げとなりほとんどが売却された。櫓二つはこともあろうに、移築されて遊廓となり営業していたという。その時の写真もあった。その上、跡地は監獄となったという。城まで波瀾万丈である。現在ある南北の櫓は明治十七年に買い戻され復元された。いまは西櫓・虎口・本丸堀・百間堀が残り博物館・美術館を含む公園になっている。平成六年に再建された南北櫓をつなぐ櫓門を出ると上田城の柱石となった真田石がある。信幸が松代へ移封される時、父の形見として持って行こうしたが、びくともしなかったと、前に立て札があった。その前で記念の写真を撮った。
 二の丸橋を渡りかけると下が長いケヤキ並木の遊歩道になっていた。見下ろすと散り敷かれた枯れ葉が、茶色のじゅうたんのようだ。歩いてみたくなる道だ。石段を下りると深い空堀の底が歩道になっていて、両脇の土手にケヤキ並木が続いている。先刻渡った橋がここではトンネルになっている。そこを抜けたところに立て札があり、この歩道は昭和四十七年まで電車の線路が敷かれていたとの説明が記され、またまたびっくり。さすが上田城とも思う。後で調べてみると、昭和三年から四十七年まで真田町と丸子を結ぶ軽便電車が走っていて、この場所は「公園前」という停車場跡だと分かった。
 その後の上田の町は、北国街道の宿場町として栄え、明治に入ると輸出の花形だった生糸の生産が盛んになった。特に蚕種の産地としては有名で、絹の町として発展していった。戦国の世、二つの大きな戦に勝った誇りは町の人々の中にいまも生き続けている。土くさく、華やかさはないが、したたかさであり、活気にあふれている。町名表示や、店名の上にはいつも六文銭をいただいている。立ち止まった呉服店のウインドウには真田紐と上田紬が飾られていた。
 裏の歴史に入るかも知れないが草の者(忍者)の話や真田十勇士の話はいまも日本人の心の中にいきいきと生き続けている。
 その夜、別所温泉の単純硫化水素の無色透明のやわらかい湯に手足を伸ばし、はるかな真田一族をなつかしくしのんだ。

《終》


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posted by maruzoh at 08:16| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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