【エッセイ】老いを考える
夕食の仕度中のことだった。玄関の声にガスの火を止めて、エプロンの裾で手を拭き拭き出ていくと「こんな時間にごめん、このプリントもう配ったかしら」と、Kさんが立っていた。ひどく早口で落ち着きなく見えた。
Kさんはもう十年以上も続いている趣味のサークルのリーダー的存在で、今日も会のプリントを会員に配っていたのだ。一回りして家に帰り着くと、手提げ袋の中に一枚残っていたというのである。家を出る時、確認して出たから一軒配り忘れたのだと、夕方から降り出した雨の中を聞いて回っているのだった。
「明日にしたら?」
「明日はまた主人が入院している病院へ行かなくちゃならないから……。時々ふうっと不安になっちゃう。私ってこんなに意気地がなかったのかなぁっと思って」
「何言ってるんですか、ご主人が急に入院してもいつものしっかり奥さんやってる方がおかしいですよ。プリント、うちは頂きましたよ」
という私に返事もせずにそそくさと雨の中に出て入った。髪の毛の艶さえ失くして、急に老人の顔になっていた。
Kさんは私より十歳年上の七十二歳。ご主人は私の夫より十歳年上の七十六歳である。お互い友だち夫婦で連れ立って行動することが多いところも似ている。私は心身とも健全なKさんに自分の未来像を重ねていたところがある。それだけに私にはショックだった。
Kさんのご主人は今年の集団検診で胃のレントゲンの再検査の通知が来た。しぶしぶ最検査に行くと胃がんだと言われ、今月三日に入院した。Kさんにとって青天の霹靂(へきれき)だった。毎日の病院通い、家族の初めての手術、そしてがんという病名がKさんを、本人以上にやつれさせてしまったようだ。
私も気が重くなったがやはり他人事、いつか忘れていた。買い物の帰りいつもご主人が連れて散歩していた黒い犬を引いて歩いているKさんに出会った。
「ご主人どうですか」
と駆け寄った。
「有り難う、思ってたより回復が早くてよかったの」
と、いつものKさんに戻っていた。九日に手術をして今日で五日目とのことだった。
「犬を散歩に連れてけ、花に水を忘れるななんて、生意気にベッドで指図してる」
Kさんは笑っていたがとてもうれしそうだった。
「入院するまでと、入院から手術してしまうまでが疲れと不安で、もうへとへとだったの」
私はわかるわかると頷いた。
「本人の前で元気にしてる分、一人になると落ち込んだりね」
人間、心と身体で成り立っているが、実は身体は心の容れ物に過ぎないような気がした。あの時は他人の目を気にする気力さえ失くしたKさんをみて、愛だの、恋だの以前の、深い夫婦の絆をみた気がした。
「昨日はもうおまじりが出たのよ。人間って栄養が足りていたって点滴だけじゃ駄目なのね。本人がすごく喜んでね」
言っているKさんの方がうれしそうだ。
そして昨日、八百屋の店先で大根を買っていると、ポンと肩を叩かれた。振り返るとKさんである。
「二十九日に退院と決まったの」
「よかった!早かったねぇ。本当いうと病名聞いただけで一年ぐらい入院かもなんて、重大に考えちゃって……」
「私だってそう思ったもの」
「それにしても集団検診で見つかったなんて、何か兆候はなかったのかしら?」
「それが胃の重いことがあったんだって今になっていうのよ。
そのたびにセイロ丸飲むと治っていたんで隠していたんだって。医者嫌いも困ったもんだわ」
日露戦争当時からよく効いたとはいえ、がんまでは無理よね、と笑い話にして別れたが、先輩の失敗は教訓として肝に銘じておこう。早期発見、早期治療である。
現在の医学の進歩は素晴らしい。万が一転移してもその年だから進行は遅くだましだまし天寿を全うすることができるだろう。もし駄目ならそれまで元気にいられたことを感謝しし、事実を受け入れればいいのだ。Kさん夫婦は私の指針であることに変わりはない。
縄文時代の平均寿命は二十八歳ぐらいだったというが、ついこの間まで「人生わずか五十年」という言葉は生きていた。それが急に人生八十年になった。中距離ランナーのつもりでかなり全速力で走ってきたのに、途中からマラソンランナーになったよと急に言い渡されてしまったようなものだ。心の準備も長期の人生計画もできていない。自分自身の中でも急激に変化した時代にこころがついていけないところがある。せっかく与えられた長い人生を本当に楽しんで生きてゆくには、かなりの自助努力が必要な時代がきたと思う。
《終》
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