やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年10月15日

【エッセイ】S先生


【エッセイ】S先生 


 S先生が亡くなられた。葬儀はやらず、お別れ式という聴き馴れない簡単な式だった。煩雑な葬儀にかかわる行事を省いたのは、先生の遺言により献体することになっていて、すぐ浜松医大から迎えの車が来るからだった。俗物の私にはお棺にあたるものがジュラルミンのような金属製だったことが、しこりとなって心に残った。
 もう四十年ぐらい前になるだろうか、私が胸弾ませて高校生になったとき、理科は中学と違って生物か化学かの選択だった。化学は難しそうという理由から生物をとった。第一時間の教壇にたったのは、なんと母方の従姉のダンナさんのS先生だった。私は先生がこの学校に転勤していたのさえ気が付かなかった。大変なことになってしまった。というのもその頃私は先生の義弟にあたる従兄のHちゃんに,ほわんと浮かぶ夏の雲を見上げるような気持ちを抱いていたからである。Hちゃんは隣町の進学校の三年生。S先生はまだその学校の生物の先生だとばかり思っていた。
 廊下ですれ違うとき「こう忙しくっちゃ、Hちゃんにテストの採点手伝って貰わなくちゃ」などと私をからかうのだった。先生は、親戚付き合いの場でみるのと、教室では違う顔をみせた。授業はとても面白く、おかげで私はいまでも生物に興味を持ち続けている。放課後の先生は、白衣を翻して月光仮面のように飛び回り、時々ひょうきんな冗談をとばした。
 冗談を真に受けたわけではないが、期末試験では生物に全力投球したおかげで五十点満点の四十七点をとり、五段階評価の五だったが他の科目は惨澹たるものだった。
 ある日の放課後、にこにこしながら手招きするので行ってみると、ホルマリン漬の標本のかげで、新聞紙に包んだ苺を二十粒ぐらいくださった。当時、生の苺は珍しかった。交配の研究か何かの成果だったのだろうか。
 夏休み、生物部でもないのに私は伊豆の合宿にもぐり込んだことがあった。いまになって思えばこれも先生の悪戯だったのか、沼津港で前任の学校の男子生徒六、七人がどやどやと大きなリュックを担いで同じ船に乗り込んできた。その中にHちゃんもいて「やあ、偶然だねぇ」などとうそぶいている。彼らはテントを担いでいて私たちの宿泊所の近くの浜でキャンプをするのだという。
 いまそこはリゾート地になっているが当時は半農半漁の村で、その船も生活用品を運ぶ荷物船だった。いま残っている写真を見ると、私は精一杯つっぱって、先生のサングラスを取って掛け、肥料のカマスを積んだ上に先生と並んで足を組んでいる。これはかなりHちゃんを意識している。ただ髪は海風に吹き上げられ、広い男額はまるみえ、白い制服ははためいてまるで先生についてきたマッサージ師みたいに見えるのは何とも惜しいことである。
 男組は海に潜ってウニを採ってきて、ウニの細胞分裂の実験をしたのを憶えている。その夜半、台風の影響で豪雨になり、テントは水浸しになった。男の子たちは急きょ避難してきた。男組と女組は襖を隔ててそれぞれ雑魚寝した。何となく眠られない一夜だった。
 先生の失敗談もある。「カタハ」という茸がたくさん採れたといって、山の帰り家に立ち寄って置いていってくれた。翌日、母が朝の味噌汁に入れた。電車通学のため早く出た妹は気分が悪いと途中から引き返してくるやゲーゲーあげ出した。それを見ていた私たちも全員つられたように嘔吐した。すぐ吐いたので大事に至らなかったが「カタハ」によく似た毒茸の「月夜ダケ」が一つ入っていたらしい。先生は青くなってりんごを一抱え持って、詫びと見舞いに飛んできたが、その恐縮ぶりはおかしかった。
 その後、何度か県内を転勤し、校長で退官された。先生は多くの動物たちの犠牲の上に学ばせて貰ったことに感謝し、自分が死んだら少しでも後進の研究に役立ちたいと献体を早くから心に決め、遺言してあった。口で言うのは簡単だが、それを実行するのは簡単ではない。また従姉にしてもかなりの逡巡があっただろう。
 自分は人生のたき火に十分温まった。去るときが来たときには自分が薪になって後から来る人を暖めようというのだ。本当に強く、やさしい先生は真摯な科学者だったと思う。晩年は、飄々と世俗を離れ晴耕雨読のくらしだった。
 終戦直後、見合いで慌ただしく従姉のところに婿に入った先生だったが、若い日のひょうきんな顔を、従姉は知っているだろうか。映画の「青い山脈」の一場面のような楽しい思い出をありがとう。そしてS先生さようなら。
 ところで去年、伯母さんの葬式でHさんに逢う機会があった。上品な紳士になっていてうれしかった。

《終》


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posted by maruzoh at 08:00| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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