やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年10月07日

【エッセイ】老いの入り口に立って


【エッセイ】老いの入り口に立って 


 先日のテレビ番組で三十年前に起きた「よど号ハイジャック事件」関係者の、その後が取り上げられていた。そして、その人たちの意外な生き方に驚いた。
 人質の身代わりになって北朝鮮に行った当時の政務次官は、帰国後、国会議員となり大臣にまでなったが実の娘に殺された。終始冷静さを失わなかった腕のいいパイロットは、有名になったために愛人の存在が発覚し、職を転々としたのち病を得て苦労した。やっと妻や娘に迎えられたという。
「金はないが、安らかに暮らせる今が幸せです」
 と、話す病み上がりの笑顔に少し救われた思いはしたが……。
 赤軍派の当時の若者も五十歳以上になっていた。病死した人もいたが、残った人たちは北朝鮮から特別待遇され、結婚もし、貿易で身を立て、年相応になっていた。その子供たちは合わせると二十人もいて、日本語で父親たちの事件を批判も入れてコメントしていたのには隔世の感があった。
 当時、私は三十四歳だったはずで、大人の目でこの事件を見ていた。長く生きていると、時代の大事件やその成り行きに遭遇することもある。ごく身近を見回しても、この年になると人生の浮き沈みが客観的に見えてくる。人の性格はかなり運命を左右するというが、戦後の復興期・バブル期・それが弾けたときと、時代に乗る人も乗り損ねた人も、ある年齢になると収まるところへ収まったような気がする。
 現在七十・八十歳の人は戦争を生き抜いた現実的に老成した強い世代である。今六十代半ばの私たちや、次の団塊の世代も、老後はそれぞれであろう。ほとんどの人が年金を受けられる時代になっても、老後は決して一様ではない。
 最近、新聞の死亡広告や記事がまず目につくようになった。
それが自分と同じくらいか、年下だったりすると、やはり気になる。死期はいくつならいいというものでもないし、分かっていれば準備ができるというものでもない。だが誰にも必ずやってくることは決まっている。生きていることは少しずつ死んで行くことでもある。
 外国の作家は「自分の気に染まないものをやる必要がなくなった」と老年を喜んだという。普通の人でも、若いころは時代の世論や世間の目にかなり縛られて格好付けて生きている。その点、老年になれば他人の目は大して気にならない。将来に大きな飛躍は望めないが自分からも求めない。そして有限ということを意識するようになる。すると情熱は失うが野心もなくバランスのとれた物の見方ができる。この煩わしい人の世で、利害関係や義理や、見栄も張らずにすむのはたいへん生き易いことだ。世間も他人にひどい迷惑をかけない限り、多少の風変わりは笑って許してくれそうな気がする。
 また「人生は戦いである」といった作家もいる。しかも休みない、長い戦いである。戦いすんで日が暮れて、ほっとした時、こころの隙間に忍び寄るうつ病が最近クローズアップされている。日本人の几帳面で勤勉な性格も禍しているといわれる。しかし、有限を知る老年期ともなれば軽いうつ
は自然で、むしろ正常で、周りの変化にも自分の変化にも無頓着でいられたら、単細胞な人間ではないだろうか。問題はすぐそこから抜けることだろう。
 それはいつも忙しくしていること、目の前にやるべきこと、やりたいことがあるように自分を仕向けることではないだろうか。それが他人のためになることなら、なおいいことだ。そして、ここまで大過なくこられたことに感謝し、心身ともにぜい肉をそぎ落としてシンプルに生きる。
 瀬戸内寂聴の『いよよ華やぐ』という小説の、仲良し老女の会話に「私たちは、一年単位で生きているわ」というセリフがあったが、作家の本音かもしれない。
 最近、健康の話題がテレビ・新聞でも目につく。これからは心の健康にも気を付けなくてはならない。それには同世代の友人を持つこと。いい友人が欲しければ、まず自分がいい友人になることだと思う。そして、精神的に自立すること。現代は若さを誇る時代だから、年寄りのハウツーが生きない時代になった。そういう面からも心して自分を失わないようにしなければならない。
 現在、国は六十五歳から高齢者と見なしているようだ。そうすると、私も来年からりっぱな老人である。この文章を書いたのも老いの階段の前に立ってよぎる諸々の思いを自分なりにまとめて、自分に言い聞かせて置きたかったから。
 老いの暮らしも意外に気楽でいいのかもしれないし、思ったより厳しい、寂しいものかもしれない。それは自分にとっては未知の世界・新しい体験である。それさえ面白がって楽しんでしまうしたたかさも身につけたいと思う。生活はシンプルに、精神は成熟させて生きたいものである。

《終》


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posted by maruzoh at 07:56| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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