やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
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   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年09月09日

【エッセイ】武田氏史跡めぐり


【エッセイ】武田氏史跡めぐり 


 JR身延線に乗って二十分もすると山梨県に入ってしまう土地柄のせいか、武田信玄は居並ぶ戦国武将の中でも特別親しみの持てる武将だ。だから郷土史研究会主催の武田史跡巡りは前から楽しみにしていた。
 山梨県は、日帰りのバス旅行で点在する主な史跡をほとんど巡り終わる広さだし、そのうえ山また山である。この山の中の小さな盆地に一時は信長や家康にさえ、一目も二目もおかれた「力」が育ったという事実によっても武田信玄がいかに大人物だったかという事が分かる。
 初め白根町という北巨摩の小さな町の美術館でやっている信玄公展をみた。ここでは信玄などと呼び捨てにするとなぐられそうな雰囲気だった。説明の町役場の女子職員も和服姿で町をあげての息込みが感じられた。甲州桝や秤、真ん中にギヤマンの凸レンズを嵌め込んだ鉄製の望遠鏡と、盾を兼ねた軍配など印象に残っている。漆・和紙・金山の開発と戦いに強いだけではない政治家信玄がうかがえた。中でも最近新たに発見され話題になった信玄堤は、治水工事に見せた二つの河の水の力をぶっつけて相殺させ、洪水を防ぐという大胆な方法だった。将棋頭という石の積み方は今も工事用語として残っているというからすごく先見の明があったと思う。
 次の武田神社と恵林寺は前に何回か行った所だった。甲府市内は来年NHKの大河ドラマになる信玄ブームを当て込んで、街中に風林火山の旗をたてて活気付いていた。
 雲峰寺はその名にふさわしく、高い山の上から大杉の美林の森林浴をさせながら私たちを迎えてくれた。その石段の多かったこと。疲れて途中にあった仁王門の中をみる元気もなかった。室町時代の重要文化財だという庫裏の入り口に、何に使うのか真っ赤なほおずきが大籠一杯干してあって俗世間を離れた暮らしが感じられた。この寺には武田の軍旗、源氏の旗などを勝頼が自刃する前に家来に託して隠させたと伝えられている。日の丸の旗が源氏の旗だったとは初めて知ったが、かなり痛んでいて絹糸で不器用に繕ってあったのが妙に存在感があった。「風林火山」の旗は思っていたより大きく紺地に金文字は風格があった。車中、自分を芋ばあちゃんといって笑わせていた山梨交通の中年のガイドさんは、「本物といわれりゃ本物にみえるわァ」「初めてですか」「こんな所まで来るお客さんいないもの」と顔をすりつける様にして見ているのが面白かった。大菩薩連山を背景にした雲峰寺は杉の太さが寺の歴史の古さを思わせる俗化していないすがすがしい寺だった。
 次の大善寺の本堂は鎌倉時代の建造で国宝。中には薬師如来、日光、月光菩薩は奈良時代の作で薄暗がりの中で移りゆく世を見続けていた。勝頼一行が勝利の女神に見放されて天目山で自刃する前夜、この立ち並ぶ御仏たちの前で一夜を過ごしたという。この辺りだろうかとそこに立ってみると、三十七歳の勝頼と、まだ十九歳だった奥方は来世を語り明かしたのだろうかと胸が痛くなるのだった。しかし、別棟では民宿を合わせて経営していて、しっかり時代に乗った明るい寺でもある。採りたてのブドウや土産品の売店のそばでの濃い熱いお茶のサービスが有難かった。この寺は七一八年、諸国行脚の僧、行基によって開かれた。そのとき植えたブドウが今日の一大産地としてのブドウの勝沼になったとか。
 武田勝頼のことを、山梨の人は武田を滅亡させた人物として悪くいう人が多い。しかしそれは時の流れであり、その時の政権担当だった勝頼はむしろ悲運の人だったと思う。父信玄があまりにも大き過ぎたし、政権も長くがっちり組まれた老臣達との主従の絆がうまく引き継がれないまま、あっけなく早死にしてしまった。むしろ信玄が結核という持病を持っていながら自分個人を過信して、後を託す準備を怠ったのでないかと思うのは考え過ぎだろうか。戦いが鉄砲時代に入り、心意気や結束だけでは通用しなくなり、金がなくては鉄砲も火薬も買えない時代に肝心の金山は枯渇してしまった。追われて逃げる途中の家来の離反も人望がないというより、下剋上の戦国時代のモラルを考える時、現代の私達が考えるのとは少し違うのではなかろうか。晩年は狂気さえ感じさせた信虎、神格化までした信玄、そして悲運の勝頼、天目山、景徳院の一族自刃の場に立った時、信玄時代遠征のため何回か駈け抜けていかれた他国駿河の私達も目頭を熱くした。亡びる時はいつもあっけない。しかも、どういうわけか勝頼の墓は大きく欠けていた。
 海を持たない山国の時の流れに押しつぶされた武田一族の亡びは悲しい。しかしそのしぶといともいえる心は引き継がれ、この小国から後世に残る人物を大勢だしている。私達の富士宮でも成功者のなかには甲州人が多いし、嫁を貰うなら甲州からと今でもいわれている。
 充実した秋の、武田氏史跡めぐりの一日だった。
   
   (1988年・51歳。NHK学園文章教室「練
    成」春2号掲載作品)

《終》


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posted by maruzoh at 08:17| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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