やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
   maruzoh live.jpg

名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年09月05日

【エッセイ】曽我の里


【エッセイ】曽我の里


 JR国府津駅に初めて降り立った。御殿場線に乗り換えると一つめが小曽我駅だが、本数が少なかったのでタクシーを捜していると、思いがけず小曽我行きのバスが出るところで、今日はついているぞと内心ほくそえんだ。
 バスの乗客は私たち夫婦を含めて三人。「城前寺行きますか」と聞くと初老の運転手さんは「私がご案内いたしますから、安心して座ってください」。走り出すとまるで観光バスのような説明をしてくれる。「五月二十八日の傘焼き祭りには、また是非おいでくださいよ」という声を背中で聞きながらバスを降りると、何だかほっとした。サービス過剰も疲れるものだ。
 曽我兄弟の仇討から八百年、富士市では盛大な曽我まつりをやる。夫はそれに合わせてローカル紙に『曽我兄弟と郷土』という十回の連載をした。それが好評で、あちこちから反響があったので番外編として、生まれた地伊東と、育った地小田原市小曽我を取材に来たのだった。私は気楽なグリコのおまけである。
 仇討は建久四年(一一九三年)五月二十八日。同日は、この里でも傘を松明変わりに討ち入ったという故事にならって傘焼き祭りが行われるので、老人会が出て川さらいや道路の掃除をしていた。寺を聞くととっくに通り越してしまっていて、お陰で返す道で五郎の沓石を見ることが出来た。平たい大石の中ほどに五十センチもある足型の窪みがある。五郎が足の病気をして治った時、ここで踏ん張ったら窪みがついてしまったという。足の病の人が履物を上げて願を掛けるとすぐよくなるのだそうだ。この他にも忍ぶ石、手投げた石など兄弟にまつわる説話が多いが十郎は情緒的な話、五郎は男っぽい雄々しい話が多いようだ。
 兄弟の父、河津三郎祐泰が工藤祐経の郎党二人に遠矢かけられ横死した時、母万劫はまだ二十八歳だったが百ケ日がすんだら尼になるつもりだった。それが父の強引なすすめで、妻を亡くし三人の幼児を抱えた曽我太郎祐信と子連れ再々婚をした。一万丸(十郎)五歳、箱王丸(五郎)三歳は曽我姓となり、十八年この里を拠点として過ごした。祐信は温厚な人格者で当時かなりの力もある地方豪族であった。
 現在は、梅とみかんの里として有名だが特に梅は五万本あるという。春には馥郁とした匂いが風に包まれた花の里になることだろう。のどかで、温かい、豊かな里という印象を受けた。いま青梅がびっしりついて、丈の低い梅の木は重そうにさえ見えた。道で出会った初老の婦人に道を尋ねたら、ついでだからと一緒に連れて行ってくれた。
 城前寺は日当たりのよい、こざっぱりとした寺で、裏手に兄弟と養父、母の五輪塔が横一列に並んで建っている。風情のある立木を背にし、ほどよい大きさ。前に白っぽい石の柵があって舞台装置を思わせる美しい庭だ。近くに「曽我遺跡碑」が立っていて撰文は坪内逍遥。それによると、この墓は昭和五年当時の俳優協会会長中村歌右衛門が発起人となり大改修したとある。だいたい地方の土地争いから発した仇討が、後世までこんなに有名になったのには訳がある。曽我物語として本になり、歌舞伎の外題として世に知られた。「寿曽我」や「曽我十番斬り」は特に繰り返し上演されたという。また浄瑠璃や能にもなった。娯楽のない村々を瞽女も語り歩き女子どもの涙をしぼった。
 曽我祐信の末裔は神保家、中村家としていまも続いているが、北条が滅びたあたりから帰農している。兄弟はこんなに環境のよい里で元気に駆け回ってどんなに幸せに大きくなったことだろうと思いきや、城前寺の寺宝の一つに一万丸の大山阿夫利嶺の不動明王に捧げた願文が残っている。

 願 文
ふどう明王さまに申しあげ候、われら兄弟は父はなれ母ばかりをたのみ、おもしろきことなく、兄弟づれにて他へまいり候へばむかへやしきの平どのにせびらかされ、うばや下々までおなじようにせびらかし候ゆえ、家にかへり母さまにつげ候へば、いろいろとしかられせっかんにあい申候ままかなしく外にもいで申さず、箱王と二人家にい申し、只父のことばかり思い、只まことの父さまのないゆえに、よそのものにもわらわれ申し候早よう大きな男になり工藤祐経を討ち申したく、母さまの大事にせいとのおん教まもり本尊とて候はば早よう願い祐経をころし申したく候
 ふどう様              一万

 とあり愕然とした。養父の優しさ、温暖で豊かな自然があっても、もしかしたらだからこそ余計に、辛かったんだと胸が痛む。
 苦節十八年、富士の巻狩の折本懐をとげた直後、若い命を散らしている。辛く、悲しく、そして潔く散った二人に、色添えた虎御前や化粧坂少将を取り交ぜて、日本人の判官びいきで語り続けたのであろう。

《終》


※本サイトの作品は、にほんブログ村「現代小説」ランキング、人気ブログランキング「現代小説」に参加しています。宜しければ、クリックお願い致します。

 人気ブログランキングへ にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ



posted by maruzoh at 08:21| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

検索
 

title.gif
maruzohは、アートビリティ作家さんを、応援します!

●ご連絡先● 〒165−0023 東京都中野区江原町2−6−7
社会福祉法人東京コロニー アートビリティ事務局内
TEL 03−5988−7155/FAX 03−3953−9461
●営業時間● 平日 9:00〜17:20 / 土・日・祝日 休業日