やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年08月10日

【エッセイ】ポッポのおばあちゃん


【エッセイ】ポッポのおばあちゃん 


 二泊三日預かった三歳二か月になる二男の娘、茜を迎えに来たパパとママに無事返して夕食の支度に取りかかった。ふと見るとわざわざ持ってきたのにかけるのを忘れていたテープがテーブルの上にある。私は孫の余韻を楽しむように「0歳から一歳児すこやか童謡」というテープをかけて里芋の皮をむきはじめた。一番初めの曲は『ゆりかごの唄』だった。なんだここで覚えたのかと口ずさみながら「あっ」と思わず手を止めてしまった。
 昨日の夕方、手をつないでの買い物帰り、私がこの歌を口ずさむと、意外にも一緒に歌い出した。二番のところで「ゆりかごの上に黄色い月がかかるよ」と歌うと茜は立ち止まって私の手を引っ張って「ちがう!びわの実がゆれるよ!」と私を睨んだ。「月だよ!」といって三番は一緒に「ゆりかごの綱を木ねずみが揺するよ、ねんねこ ねんねこ ねんねこよー」と歌ったのだった。テープの歌は、しっかり「びわの実が揺れるよ」である。私はこの子のパパとその兄を育てた時、確かにこう歌ったような気がするが、長い間思い違いをしたのかもしれない。
 家から五分ほどの所に浅間大社がある。広い境内には鳩がたくさんいるし、池には鯉が、天然記念物の湧玉池を起点とする神田川には虹鱒が群れをなしている。茜が来ると必ず一度はここに連れてくるので、いつの間にか茜は私を「ポッポのおばあちゃん」と呼んでいる。
 昨日も朝から「ポッポへ行こう!」と一人で靴を履いて表へ出て待っている。仕方ないので買い物をかねて九時半に家を出た。平日の朝は鳩に餌をやるひま人もいないらしくワッと寄ってくる。「ワァー、ハトだらけ──」と喜んで逃げ回る。同じくらいの女の子を連れた若いお母さんと顔見知りになり久しぶりに若やいだ会話を楽しんだ。
 途中、知人の家に寄ると「お孫さん?」とどこでも驚かれる。「おもはゆい」というのはこういう気持ちかなと複雑な心境。知人から可愛いいキティちゃんのついた歯ブラシセットをいただく。普段の茜はお喋りのくせに肝心の時に恥ずかしがって「ありがとう」を小さな声でいうのもかわいい。その家を出た途端に「茜ねえ、キティちゃん大好物!」と大声でいうのには立ち止まって笑ってしまった。先刻言わなくてよかった。
 いろいろ買い物をして手荷物が増えたので帰りはバスに乗ることにした。郊外の団地に住んでいる茜は、いままで自家用車ばかりでバスに乗ったことがないらしい。バスターミナルを出たり、入ったりする大きなバスに目を丸くしている。
「あれにのる?」。つないでいる手がぎゅっと緊張するのが分かる。一台のバスが私たちの横を通り過ぎると「おばあちゃん。みなさんのバスがいっちゃうよ!」と大声を出した。振り返って笑う人、「かわいい」と立ち止ってほほえむ人、私たちは何だか周囲の注目を集めてしまった。いろんな人が同じ方向をむいて座って動いていくさまが、ステキな国への旅立ちのような気がしたのだろうか、宮沢賢治の世界である。
 バスに乗り込むと前の席に座っていた男の子が茜をみて後ろ向きになって顔を出した。おでこに大きな絆創こう。茜は「いたい?」とごく自然に聞いた。「いくつ?」と私。三本指を出した。並んで座っている若いママが、三日前に転んで、今日も病院へいった帰りだという。降りる時、キャンディをいただいた。小さい子どもを連れていると、誰とでも気軽に話すことが出来るものだと感心した。バスを降りた時、「みなさんのバスたのしかったねぇ」。百七十円のバス代でこんなに喜んでもらえるとは思わなかった。バス停からの帰り道ブロック塀の陰で、トラ猫が長々と寝そべっていた。「猫が日陰ぼっこしてる、暑いのかなぁ」だって──。
 私は初めておばあちゃんになった時、この若さでおばあちゃんなんていわれるのは絶対いやだと思っていた。時代・文化により老いか・若か・女が尊ばれる。中国では年より上にみられるほうを喜ぶという。現代のわが国では少しでも若くみられようと滑稽なほど努力する。時には軽佻浮薄にみえて見苦しいほど若ぶる風潮にある。考えてみれば、若いということは未熟ということでもあるのだ。私もそれに毒されてかおばあちゃんなんて呼ばせないと思っていたが、いつの間にか自分から連発してしまっていた。茜自身さえこんなに楽しい時期があったことは忘れてしまうだろう。短い貴重な日々を、この美味しい時期を十分楽しまないてはない。

《終》


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posted by maruzoh at 23:12| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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