やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年06月09日

【エッセイ】海を見ているふたり


【エッセイ】海を見ているふたり


 梅雨の晴れ間の潮風はさわやかだ。百人以上は乗れそうな船室なのに、乗船客は二十人くらいで、みんな窓側にへばりつくように座っている。昨年の夏、乗船したときと同じ「レッド・アロー号」だった。
 知人から土肥温泉の宿泊割引券をもらった。梅雨で客足の落ちたホテルの対策だろうが、この春、夫婦とも忙しかったので一息つくのもいいね、と電話してみると、レッド・アロー号で見えるなら着いたら電話してくれれば港まで迎えに出ます、というので気楽さも手伝ってその場で予約した。
土肥には夕方までつけばいいので、昼は戸田でタカアシガニでも食べて、知らない漁村をぶらぶらするのもいいね、と家を出た。
梅雨が明けていないためか、銀色の雲間に覗く空も夏の青になっていない。
「あっ、飛魚だ」
「ほんと! つばめかと思ったわ」
 船と平行して、まるで海鳥のように長く飛ぶものだ。もう一匹飛んだ。同じ魚なのか二匹が戯れているのか船に挨拶しているようにも見える。
 高速船だと沼津港から戸田はあっけないほど近い。小さな白い灯台がみえてきた。あの灯台の下の出来事だった。
「昨年のたくましい漁師のおかみさんたちのこと覚えている?」
「驚いたねぇ、何事かと思ったよ」
 それは昨年の旧盆過ぎだった。この灯台のある御浜岬の先端にある郷土資料館を見に来て、ちょうど灯台の下を通りかかった折である。時ならぬ女たちの雄叫びに度肝を抜かれた。
 十五、六人の女たちが口々に何か叫びながら海に向かって手を振っている。すると、すぐ近くを小さな港には不釣合いな大型船が白波を蹴立てて通過するところだった。遠洋漁業の船だった。見ると船員たちも身を乗り出して大きく手を振っている。
 あっという間の出来事だった。
「ボー」と大きく、長い汽笛と白い航跡を曳いて船は遠ざかった。
「あーあ、行っちゃった!」
 溜息混じりの若い声に
「今夜から、膝小僧抱えて寝なきゃなんねいぞ」
 年配の女が混ぜ返し、みんな豪快に笑いながら、海岸の道に停めてあった四台の車に分乗して走り去った。
 私たちは狐につままれたように立ち尽くしていたのを思い出した。
 
 岬を回ると船は静かな戸田港に入った。小型船がかなり停泊していた。船からは五人だけが降りただけで、乗り込む人もなく出航した。
 船着場から道を隔てて土産物屋や食堂は、観光ブームに乗った安普請らしく色褪せて開店休業に見えた。その店の壁に海を向く形でベンチがあり、老夫婦がまっすぐ前を見て腰掛けていた。
「こんにちは――」と声をかけた。
「何処から来たかね」
 おばあさんから思いがけない言葉が返ってきた。先刻下船した五人は私たち以外、顔見知りの土地の人だったらしい。
「富士山の麓の富士宮です」
 夫が答えると、おじいさんは
「若い頃、富士山に登ったことがある」
と、口の中でもごもごと言う。骨太の体格のよい人なのに脳梗塞か何かの後遺症なのか、口も体も不自由のようだ。リハビリ用の靴を履いて杖を持っていた。
「今夜は土肥へ泊まるんですが、ここでお昼でも食べていこうと思って――」
「ああ、ここは何処いったって魚はうめえよ」
 口の中でもごもごしながらゆっくり話すおじいさんをおばあさんはもどかしそうに見ている。
「昨年の夏も来たんですよ。あそこの灯台の下で、船を見送るおくさんたちに会い、驚きましたよ」
 私は話のつなぎをした。
「ああ、あれかい。わしらも何度見送ったもんだか」
「えっ? そうですか」
 思わず私はおばあさんの横に座ってしまった。
「この人は漁師だったからね。出漁するたんびに順番が決まっていてね。諸口さん(岬の先端の氏神さんらしい)、弁天さん、金毘羅さんって拝んで回るのさ」
 航海の安全と豊漁を祈願する漁師の妻たちの慣わしだったのである。おばあさんは自分で言って頷きながら喋っていた。
「この村は遠洋漁業で有名なとこだけれど、じゃあ、お宅は遠洋漁業の漁師さんだったんですか」
 夫は身を乗り出しておじいさんの横に座り込んだ。
「ああ、五十年やった」
 と、片手をあげた。
「どの辺りまで行きました?」
「フイリッピン、ミッドウェー、赤道の辺りだなあ」
「それはカツオ・マグロですか」
「ビンナガが多かった」
 夫はとうとう煙草を取り出して火をつけた。おばあさんが時々通訳する。
「三十五年前のマリアナ沖での遭難じゃ、大勢の仲間が死んださ」
 おじいさんは涙もろくなっているのか、もう目をしばたかせて黙り込んでしまった。
 日に焼けて皺だらけなのに、おじいさんの分まで頭の冴えているおばあさんの説明は分かりやすかった。おじいさんは聞きながら頷いたり、涙をぬぐったり忙しい。
 昭和四十年(一九六五年)十月七日、マリアナ海域に出漁していたカツオ・マグロ漁船七隻が台風に巻き込まれる大きな海難事故があった。七隻のうち三隻がこの小さな漁村の船だった。その中の一隻、第一弁天丸だけが座礁したため乗組員四十人のうち三十九人が救助され、おじいさんは九死に一生を得て帰ってきたのだという。その時、この村だけで七十人以上が亡くなったと、おばあさんは声を詰まらせた。
 八十七歳と八十三歳の老夫婦は、今は年金暮らしで、子どもたちは半漁半農の村を出て行ったが、盆と正月には帰省するのだと、嬉しそうに話した。二人は一色という港からそう遠くない地域に住んでいる。天気がいいとこうして運動がてらに出てきては、このベンチに座って一日、海を眺めて過ごすのだという。
 オイルショックを期に、遠洋漁業は急激に減った。現在は近海漁が多い。遠くても八丈島や宮城沖などで、日数も昔は一ヵ月から四十日ぐらいだったのが、今は十日か十五日がほとんどだそうだ。それでもあの騒ぎである。
 通信も発達していなかった頃、板子一枚地獄という世界に一ヵ月も一ヵ月半も留守にする夫を送り出す妻の心境はどんなだったであろう。子どもを背負いながらでも八百万の神様にお願いして走り回らなければ、居ても立ってもいられなかった気持ちがよく分かる。
 ふたりに別れて町のメイン通りを行くと、釣具店が目立ち太公望自慢の魚拓がベタベタ店のガラス窓に張り出されていた。
 海の見える魚料理屋の二階は、三十畳くらいあり、テーブルがいくつもあるのに、客は私たちだけであった。タカアシガニは、二人前で一万円から二万円だと書いてある。年金生活者にはとても手が出ない。「今の時期、冷凍だから」と負け惜しみを言って、夫は刺身定食、私は天ぷら定食を注文した。

《終》


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posted by maruzoh at 22:06| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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