【エッセイ】三題噺
遅い朝食をとりながら夫とNHKの日曜美術館を観ていた。「国宝展みたいな」「行くか」「ほんとに?」 言葉というものは思いが同じなら電光石火のように伝わるものらしい。前日、東京に住む長男の嫁から孫の写真が届いたのでお礼の電話をした。「新茶送るからね」と言ったこともあって次の日曜日午前十時に山手線の池袋駅北口で落ち合うことになってしまった。
混雑する駅の構内で恥ずかしげもなくベビーカーをはさんで撮った記念写真がここにある。思いがけない母の日と、一と月早い父の日のプレゼントを貰った。息子一家と別れて孫の話に夢中になっているうちに上野公園口で降りた。
先刻までのほんわかムードは一変し、人・人・人の波。まるで人間の洪水のようだ。母の日でもあり催物が多いのか地方都市に住む私たちの常識とは桁外れの人出だ。「浅間さんのお祭りどころじゃないね」 正午少し前で時間的にもピークなのか、後から後から湧き出るような人波はせかせかとそれぞれの方向に動いている。
大きな建物が見えてきた。その影から長蛇の列がはみ出している。ここが国宝展かな、きょろきょろしていると人に押されてどんどん前へ出てしまう。ふと気が付くと夫が見当たらない。ぞっとして立ち止まって四方を見渡すが姿が見えない。どんな服装着てたっけ、改めて思い出す。ああ、そうだベージュのスーツだ。この時期ベージュのスーツはあちこち歩いていてますます不安になる。血眼になって捜しながらも足は前に進んでしまう。そうだ、こういう時、動かない方がいいんじゃないか。暫く立ち止まってみたが不安でじっとしていられない。汗がつるつると頬を伝う。ハンカチは…と思ってはっとした。今日はバッグを持たずにきたのだ。新所帯の息子たちにあれもやろう、これも持ってってやりたいと荷物が三つになってしまい夫の持つショルダーに一緒に入れてきたのだった。私はいま徒手空拳。一円のお金も汗をぬぐうハンカチさえないのだと思うと更にぞっとした。先刻の列は何だったのか、夫はちゃっかり並んでいるのかも…泳ぐように人の流れに逆らって引き返した。列は音楽会だった。すぐ引き返す。
地に足が着かないとはこのことか。眼ばかりきょろきょろしても、しっかり見ているという自信がない。自分が砂漠の一粒の砂になってしまったような気がした。やがて生け垣に「国宝展」という看板の上に太い矢印がみえた。そうだ、会場で待てばいいんだ。もう待っているかも知れない。急に元気が出て走るように歩き出した。途中ハンドスピーカーを持った係員が「今日は大変混雑しています。門を入ってからの待ち時間は現在二時間です」と呼びかけている。新幹線に乗ってわざわざ来たんだ、二時間待ったって観るよと少し強気になった。恐竜展というのもやっているようで、ここも親子連れが長蛇の列。
もしこのまま会えなかった時はどうなるのだろう。息子たちはあれから予定があるようだったから夕方までは電話に出ないだろうし…。何より電話する十円玉もない。夫の妹が都内にいるが、そこも二人住まいなので着払いでタクシーで乗り付けて留守だったらどうしよう。いざという時はやっぱり交番だろうか。免許証も身分証明証も夫のバッグの中で、どう自分を証明すればいいのか。
会場前に着くとチケットを買うのに長い列。取りあえず並んで眼は休みなく動かす。列は意外に早く進んで私の番がきてはっとした。お金がないんだった。すぐ外れてまた後ろに並んで時間を稼ぐ。こういう時に限ってどんどん進んでいく。窓口の前まで行ってまた列から退いた。同じことを二度もしたので係員が不審な目でみたような気がしてもうやめた。こうなったら向こうから見つけて貰おうと正門に仁王立ちになった。──と自分では思ったが通る人はだれ一人、目もくれない。ああ、私はどうなっちゃうんだろう。
ちょんと後ろから突かれた感触で振り向くと夫がいた。夫は「こっちは並んで席を取りながら捜しているのに、のんびり突っ立ってる人がいると思ったら、あんただからまったく…」 追いかけっこをしていたのだ。また汗が出た。
門を入ると九十九折りを押しつぶしたような長蛇の列だが一時間ほどで中に入れた。中もまた人・人・人。教科書でみたことがあるものの実物がずらっと並んでいる。疲れも忘れて見入り過ぎて、鰻とステーキを一緒に食べたような気分になった。
マシュマロのような孫の顔と、身も細る恐怖の二十分と、ずっしり満足して身になった国宝展、三題噺のような長い一日だった。大都会の中で一銭も持たない孤独感は堪えた。あの時は見飽きた亭主の顔が地獄であった仏様に見えたからおかしい。
《終》
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