やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2013年05月28日

【エッセイ】運・不運


【エッセイ】運・不運 


 昼下がりの墓地は、杉の大木の吐き出すひんやりした重たい空気に包まれていた。私は、先刻から他人の墓の前に座りこんで動こうとしない夫にうんざりしていた。
 夫は郷土史同好会に入っていて、お目当ての江戸前期の地方代官の墓がこの辺にある、というのだ。
「あんたちゃ何してるだい?」
 突然の毒を含んだ声に、飛び上がるほど驚いた。私たちを窺っていたらしい老人が現れた。
「井出志摩守の墓がこの辺にあるはずなんですが…」
 夫が聞いた。
「ああ、それならあれだ」とすぐ指さした。寺にも詳しい人らしい。
「ここは由緒あるお寺ですってね」と私がいうと、一刻者らしい老人も少し機嫌を直した。
「そりゃ昔は大したもんさ。徳川家康だって、武田攻めの時、ここで戦勝祈願しただから。向こうにゃもっとえらい人の墓もあるよ」
「誰の墓ですか」と、夫も色めき立つ。
「そりゃわかんにゃーけど…」
 私たち三人は、墓地の中の狭い道を一列になってやぶ蚊を追い払いながら歩いた。
 一段と苔むした背の高い墓の一団は忽然と現れた。宝篋印塔あり、五輪塔あり全部で十基あった。刻まれた文字はほとんど読めないが、中央の長方形の墓碑に「征夷大将軍正二位内大臣源家綱公御母堂…」と読める。
「家綱の母って、あの家光の側室の?」
 夫は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「そうよ、いつか大河ドラマでやっていた春日局にもでてくるあの人のことよ」
「これは阿楽の方の墓ですか?」
「さあ?養運坊へ行って聞いてみな」
 隆盛期には三十くらいあった、という坊が今は二つだけ残っていて、そこで管理しているという。早速行って、いろいろ教えていただいた。
 それは確かに三代将軍徳川家光の側室、四代将軍家綱の生母、阿楽の方一門の墓だった。
 次の日、図書館で『春日局』など三冊の本を借りてきた。阿楽の方の父は、下野国(現・栃木県大平町)出身の青木三太郎といい、本多大隅守忠純に砲術指南として仕えていたが、浪人となり寛永四年三十二歳で死去したとある。母は下野国島田村(現・小山市)の増山織部の娘紫で、夫の死後お蘭(のちの阿楽の方)をはじめ四人の子を連れ七沢作左衛門と再婚、江戸浅草に住み、ここでも四人の子をなした。
 お蘭は寛永十年(一六三三)正月、往来で遊んでいるところを、浅草寺参詣の家光の乳母春日局に見出され大奥の部屋子となった。養父は、その時古着屋をしていたというから大した出世だった。
 大奥でも時々催しものがあり、今のカラオケ大会のようなものだろうか、そこで阿楽は麦搗唄を歌って家光の目に止まり側室になった。やがて懐妊、それが初産でもあり難産で、母紫は大徳の噂の高い富士重須本門寺の日優上人に祈祷を頼んだ。そして待望の男子出産。家光には他に子がなく、意外に早かった将軍の死によって、阿楽の方(お蘭)の生んだ子は四代将軍家綱となってしまったのである。あれよあれよという出世である。
 将軍の生母となった阿楽の方の母紫も、増山殿と呼ばれて大きな力を持つようになった。そして、重須本門寺に深く帰依した。最盛期には五重塔まで寄進したと記述にはあるが、火災に遭い、今は雑木林の中に大きな丸い礎石だけが残っている。
 人には青年期や老年期があり、運・不運があるように、この寺も大きな時代の波がいくつかあったのだ。今は樹齢七百年といわれる杉木立がわずかに往時をしのばせる。
 阿楽の出世で、弟は母方の増山姓を名乗り、三河西尾城主となった。小国ながら一万石大名として長い江戸時代を泳ぎきり、幕末まで百六十七年続いた。他の兄弟もそれぞれ恩恵に浴した。しかし、十基の墓のどこにも実父の名はない。一説には、藩の金を使い込んでお役ご免となり、生活のためご禁制の鶴を密猟して死罪になったともいう。資料に「砲術指南として仕え…」とあるので、あり得ないことではないとも思う。が、史実は若死にしたと片付けている。
 いつも歴史は勝者が書くため、都合の悪いものは抹殺される。増山殿は、日優上人を開山として泉光山蓮華寺を建立(東京都文京区)。三十二歳で他界した娘阿楽の方の菩提を弔いながら八十七歳の長寿をまっとうした。
 先日、重須本門寺の前を通りかかり、広い駐車場に吸い込まれるように車を停めた。一人ではちょっと足の向きそうもない墓石群の中を夫と歩きながら「運がいいとか、悪いとか──」というフレーズのあるさだまさしの『無縁坂』の一節が頭に浮かんだ。
 梅雨の晴れ間の苔むした十基の墓石たちは、丈も他の墓の二倍ほどもあり、威風さえ感じられた。 

《終》


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posted by maruzoh at 07:34| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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