【エッセイ】雑談の効用
「あらいやだ、きょうはAさんの短い文ひとつだけだったわ」
昨年の暮の『文筺』の例会は、ほとんど一日中雑談だった。新宗教団体や幼女殺害事件など話題に事欠かない世相である。
女性会館の図書室は、予約なしで使わせてもらえるので本当に有り難い。会館を出るときは身も心も五キロは軽くなった気がした。話すことは「放つ」に通ずるらしい。
例会は月二回とはいえ、午前十時から午後四時まで。ここに出られる人は健康にも家族にも恵まれた人かもしれない。年齢も、性格も、学歴も居住地もばらばらで、共通なのは文章を書くことが好きなことだけである。しかし、本当の目的はおしゃべりの方にあるのかもしれない。
日本には室町時代から連歌というおしゃべり会のような伝統があった。今でもこの地方で盛んな俳句や川柳は、その流れを引いて人々の文化交流・教養の向上に役立っている。つまり雑談は人間だけにできる高度な行為といえるであろう。
例会が終わると辰年生まれで今年〞年女≠ニなったお姉さまたちも、童女のように手を振って別れるからおかしい。いつも私が送ってゆくAさんは車の中で「今一番大切なのは家族だけど、その次は分かり合える仲間だと思うよ」といった。彼女は六十五歳。私と年齢が近いので同じ時代を歩いて来た仲間意識も強い。
Aさんは仕事を持ちながら四人の子どもを育て上げ、五十代半ばで突然病に倒れた。そして後遺症の残るなかで、定年を迎えたばかりのご主人に先立たれた。底無しに落ち込んでいたころ、公民館祭りで『文筺』に出会い、雑談と書く楽しさを覚えたという。
雑談には触発されたり相手に釣られたりして、いつもと違う自分が出てくる不思議な力がある。Aさんは今、グループの中で一番作品が多い。今年もがんばるに違いない。
平成12年1月の作品
《終》
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