【エッセイ】カチカチ山
玄関のチャイムに階段を降りていった。ガラス戸に二つの影法師が映ったと思うと、思いがけなくF町に住む次男と孫だった。久しぶりである。
「なんでカチカチ山っていうの?」
「なんでかなぁ、子どもらはみんなそう呼んでいたよ」
車の中から続いている会話のようだ。
核家族の典型のようにいつも四人で行動しているのに二人で来たのも珍しい。次男はこの近くに用事があって、小学三年生になった息子を助手席に乗せて、自分の子どもの頃の話をしながら来たのだろう。そして、駐車場の近くにある話題のカチカチ山を見せ、ついでに実家にも顔を出したのだった。
この岩は住宅街では珍しくなった休耕田の一番奥まった所にあって、大昔、富士山が噴火したときの溶岩だという。高さ二メートル足らずの岩の塊で名前の付くほどのものではない。郊外に行けば、いくらでも転がっている程度の岩である。
私が、元気すぎる二人の男の子に振り回されていた二十数年前には、この辺りは弾んだ子どもたちの声で溢れていた。その子どもたちもほとんど自立して出て行き、今はひっそりしている。
カチカチ山から飛び降りるのが、子どもたちの小さな仲間社会の通過儀式ようだ。
「死んだ気になって飛び降りたんだよ」
いつの時代も子どもは遊びの天才である。会うたびに背丈の伸びていく孫と、兄の腰巾着で泣き虫だった次男が父親っぽくなって行くのを、私は面映い思いで見つめた。
「母さん、あの岩少し埋まったのかなぁ」
と、次男は振り返った。
「子どもの頃の大川が、おとなになってみると小川だったってことあるじゃない」
去年の夏、次男は念願のマイホームを手に入れた。人生には何度か跳ばなくてはならない時がある。思い切って跳ぶ時もある。甘ったれだった次男も、去年は跳んだなと思った。
《終》
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