【エッセイ】二泊三日
仕事人間できた夫が定年を迎え「毎日が日曜日」という生活になって、四か月目になる。長い間ご苦労様といたわる気持ち、弁当作りからの解放、そして毎日顔つき合わせるうっとうしさが入り混じって複雑な心境である。
これまで地域の人たちとは最小限のかかわりしか持たなかった夫が、地区の三峰講の人たちに入って、二泊三日の登拝旅行に行くという。「奥さんも一緒にどう?ほとんどの人が夫婦で行くんですよ」「残念だけど、ちょうど忙しくて」といいながら、二泊三日の自由がすごくうれしい。貴重に思えた。
私は月に一週間ぐらいの小さな仕事を持っている。その提出日がこの二泊三日の中日に当たるので、第一日目は一日中、机に座り続けてしまった。朝も早くかかり、洗濯もお休み、掃除もお休み、昼はカップラーメンで済ませ、夕方の五時にはもう仕上がった。「やったぁ」という充実感に満足。外へ出て働く男たちが、よく家族のために汗水たらして……と恩着せがましくいうが、仕事というものは苦しい時も確かにあるが、楽しい時も、やり遂げた充実感も生きがいを与えてくれるものだ。
夕食は持ち帰りの寿司を買ってきて、テレビを見ながらだらだら食べ、自分にご苦労さん。
二日目は早々に書類を提出して仕事に区切りをつけた。久しぶりに友人とお喋りしようと出掛けに電話して待ち合わせた。友人は嫁さんが風邪をひいてまだ二歳にならない男の孫を預かっていた。この年齢は老いた親とか、小さな孫など、とかく生活が乱される。私たちがベンチに座って話しこむと、持ってきたサッカーボールで男の子は一人遊びを始めた。時々「上手ね」などと声を掛けていた。話に夢中になり、少し間が空くと急に噴水に向かって大きくキックした。「早く取ってきて!」「お利口ね」などと言っても知らんぷり。とうとう私たちは水の中へ入り二手に分かれてボールと子どもを押さえに走った。しばらくすると今度は反対側の車道へキック。大人の話はかなり分かるが、言葉がまだ出てこない二歳児の抵抗だろうか。怪我でもさせたら大変だと、またの機会にして早々に別れた。
帰り道、わざと遠くのスーパーへ気晴らしの買い物に行く。でも一人の夕食にはたいした買い物も思いつかなくて、また弁当、手抜きも主婦にはご馳走なのだ。
夫の旅行の日程が決まってすぐ、勤めをしている友人と鎌倉めぐりを計画していた。明日がメインだから今日はこれでいいやと自分に言いきかせながら帰宅するとすぐ電話。時間の確認だなと走って受話器を取ると「ごめん!年度替わりで仕事が増えて、休めなくなった。一週延ばして」という。あーあと溜め息が出た。
突然ぽっかり空いた一日をどうしよう。急に思いつくのは買い物。年金暮らしの二人にはお金もないが、是非買いたいものもない。せめて鎌倉へ着て行くつもりで買った新しいブラウスを着て街へ出る。葉桜になりかけた神社の境内を通り抜け、知人の店の前を通り、顔が見えたら立ち話でもと回り道したのに、あいにくご主人が一人で店番をしている。
結局一時間ぐらいかけて、万歩計とビタミン剤を買い、途中図書館へ寄って新刊二冊借りて帰ってきた。
先月、春休みの二人の孫を連れて長男が帰ってきたときの土産のあられが残っているのを思い出した。それを持って二階へ上り、椅子に寝そべって本を読み出した。「カメカメハ」というハワイの戦国時代の話は面白くてのめりこみ、上巻をほとんど読み終えたとき、あられもなくなっていた。
私は集団検診でコレステロールが高いので一日二十分ぐらい歩き、食べ物には気をつけるようにいわれている。空の袋を前に深い後悔におそわれた。
もう五時を過ぎた。夫の旅行計画書に七時二十分帰着とある。時間に合わせて風呂を沸かした。しかし八時過ぎても帰ってこない。まさか事故?──とうとう同じバスで行った近所の家へ電話してしまう。「東京へん通るので夕方だから混んでいるんだよ。いつも遅れるから」とのんきな返事。それでもいらいらしながらテレビを見ていると、九時半になってやっと帰ってきた。「渋滞で……ひまつぶしに酒盛り続きで……」と、まるで金時の火事見舞いのような顔で、何が参拝登山だと可笑しくなる。
かくして楽しみに待ち構えていた二泊三日も肩すかしに終わった。
旅は一緒が多いので貴重な時間だったのに──。こんなことを繰り返しながら知らぬ間に年を取って行くのだろうな、ま、それもいいか──。
夫婦は恋・愛・肉親・空気と変わって行くのだという。もう空気になりかかっている。でも考えてみると空気も大切と思い直す。
《終》
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