【エッセイ】わたしと車
「いま、出まーす」と受話器を置いた。二、三日ご無沙汰していたのに、一回でエンジンがかかり、愛車のご機嫌はよさそうだ。「よろしくね」私は胸の中で呼びかける。五十二歳で免許を取り五年め、未だに少し遠出の時は緊張する。
約束どおり彼女は家の前の大通りまで出て見覚えのある赤い「トゥ・デイ」を見つけると、片手をあげて合図した。
彼女と私はこの文章教室仲間。リポートが返ってくると、合評と称して喫茶店や図書館で作品を見せ合い、批評もする。今日の会場は、趣を変えて、隣のF市にある博物館と隣接する歩道でめぐれる民俗資料館にした。ずっと以前、一度行ったことがあったが、出がけに地図をみて道順を頭に叩き込んできた。片道一時間弱の距離。
拡幅された広い道は気持ちよく、車もスムースだ。横の小路から車が合流しようとして頭をせり出している。
「ああいうの困るのよね」
と避ける。
「立場が逆になるとそう思うけど、自分が出る時は、ついああなるのね」
と彼女。右折の時も、法規を守ってピタリと止まって自分の立場をはっきりした方が、他車の惑いもなくし結局早く出ることができるのに──。車を運転してみて、人間というものは、かなり自分中心に物を見ているものだと思う。自分に都合のいい人がいい人で、都合の悪い人は、悪い人にしてしまったりする。
車は幹線の国道に出た。速度表示は五十になっているが、五十キロで走っていると、追い越していく車がある。ルームミラーを覗くと、後ろのダンプのにいさんがいらいらしているのが分かる。プシューッというエアブレーキの音は身の縮むような圧迫感を覚える。時と場合によっては、少々オーバーしても流れに乗る方が大事だと知る。
車に乗るようになって、優柔不断な性格が少し直ったような気がする。走る物同士のコミュニケーションは即決断がいつも求められるからだ。人間はいざという時、自己保護本能がもともとかなり備わっているようだ。もしか道を間違ってもバタバタ慌てない。慌てて急に停車したり、Uターンしたら事故のもとだし他の車にとんだ迷惑になる。道はどこかに繋がっているから、少し遠回りになってもたいてい行き着ける。そんな時「なーんだ、ここに出るのか」とパズルを解いたときのようなスッキリ感を味わう。そしてその道は決して忘れない。
ガードを越して、牛丼屋の看板から二つめの信号が見えてきた。ここを曲がるんだった。「水とみどりのまち」という立て看板があるはずだ。あった、あった。車は快調だ。
日本はどうして年度末近くになると、道路工事を始めるのか、今日もこれで三度めの旗振り片側通行だ。街道への曲がり角を確認してしっかり曲がる。もう一本道だ。彼女がキャンデーを口に入れてくれた。飴をしゃぶりながら、役所の悪口を言ったり、嫁の話や孫の話、定年後のお互いの亭主の話にと結構リラックス。目印の大きなガードをくぐるとスーパーがあり、最後の曲がり角の目印、銀行の建物が見えてきた。ああ無事着けた。積み重ねが大事なことだけに、一仕事し終えたような充実感がある。
車を駐車場に入れて、村のようになっている民俗資料館の公園内を歩きながら私たちは話した。
南向きのなだらかな丘陵地になっているので、古代から人が住みついていたのが頷ける。復元された古墳や、竪穴住居もある。江戸時代の代官屋敷や長屋門もあった。私たちは明治時代の民家の縁側に座って、持ってきたみかんを食べた。のどかである。私などは縁側辺りが落ち着ける。どこからか地鳴りのような音とも、響きともつかないものが、丘を揺すっているような気がした。何だろう。先刻、くぐってきた東名高速道路が近くを通っているのだ。その地響きが、丘を這い上がってくるのだった。怖いような車社会になったもんだと改めて思う。
行動が広がると心も広がるような気がする。それにしても、自転車にも乗れなかった私が、ドライブを楽しんでしまっている事実、もしかしたら私には未開発の能力があるかも知れないと考えると楽しくなる。
必ずやって来る老後も、へっぴり腰の受け身でなく、与えられてしまった、その時その時を楽しんでしまおうと思えば気も楽になる。
ちなみに、私は一万キロ以上走った。そして五年間無事故無違反である。
《終》
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