【エッセイ】無 人 駅
半世紀も生きてきてしまって人の心の表と裏、複雑怪奇な心模様に辟易したのか、どちらかというと人の集まる所が好きだったのにいつから山に憧れるようになった。と言っても本格的登山は到底むりで、日帰りのできる一五〇〇メートル前後の低い山である。
一週間前、夫と二人、山梨県にある思親山(一〇三〇メートル)という手頃の山で一汗かいた。紅葉は過ぎていたが、その落葉が足首まで埋まるほど積もって、贅沢なじゅうたんを敷きつめて迎えてくれた。カサカサと心地のよい音を楽しみながら、通り過ぎてしまうのが惜しくて寒さ到来の束の間の明るい光の中を、一歩一歩味わいながら踏みしめた。こんな時、しみじみ山に溶け込んだような気持ちになる。あまり展望のきかない下り道だがそれだけに林が切れてポカッと青い空と富士山が見えたりすると思わず立ち止ってしまう。今、越えてきた思親山の頂を振り返って、あの山を越えてきた満足感が残る。
長い単調な林道を曲がった所がこの日の終着地、国鉄井出駅だった。六帖間ほどの小さな無人駅で,回りに木のベンチがコの字型に並んでいるだけ。ペンキのはげた木の窓枠はガタビシ音をたてそうだった。絣の柄の薄い長い布団が敷いてあった。私たちの他に人影はない。時間表を見ると五分前に出たばかり、五十分も待たないと次がこない。その間に急行はあるが無人駅に停まるわけもない。
タフボーイをゆすってみると音がする。まだ蓋のカップ半分残っていた。
「飲む?」と夫に渡すと半分飲んで返してよこした。残りを飲み干して荷物を小さく片付けたがあとの五十分にうんざりした。とりあえず重い登山靴を脱いで、他人のいないのを幸いにベンチに横になった。
「ああ、やっと着いた」
声とともに三十ぐらいの男が飛び込んできた。私は慌てて飛び起きた。
「まったく長ったらしい林道にはまいった」
自分の大声に照れて
「一人登山で、朝から人と口を聞いてないもんで──」と付け加えた。
朝六時に静岡市側から十枚山に登り、ルートのあまりよくないのを承知で山梨県側に下山した富士市の人だった。私たちも登ってみたい山だったのでいいチャンスだとばかり、交互に質問攻めにしてしまう。彼は一日分の沈黙を一挙に取りもどすように朝からの行程を、失敗談を交えて話してくれた。
「……その次の峠の下り口は気をつけないと間違うよ」。他の人が見たらここで今知り合った人とはとても思えない雰囲気だ。
秋の日は釣瓶落としの言葉どおり辺りは急に暗くなって、電灯がついていたことに初めて気が付いた。そのみかん色の光の中にまた一人の山男がザックを肩に入ってきて、ベンチにどさっと座り込んだ。
「この灯りが見えていながら遠くて遠くて」
と帽子を脱いであいさつした。
「時間まだありますか……三十分?。ああちょうどいいや──少し休みたいよ」
この人は朝早く興津から入って、徳間峠を越えて、横道にそれてしまい八時間も歩きづめだったという。日常性から逃れて、自ら求めて一人で山の中を歩きまわっても、灯の恋しいころに人に出会うとほっとして嬉しくなってしまうのは誰も同じだと思う。その上、気の合いそうな人だと尚更である。
「道を間違ったと分かった時は、今日はもう野宿かと思ったよ」
「地図持ってても、小さな間違いや、カン違いは一度や二度必ずあるねぇ」
「えっ?、今までよく遭難しなかったわね」
「いく度かいくと一種のカンだね。こりゃ少しおかしいぞってね」
「標識が壊れて、どっち指してるか分からんのが一番困るよ」
申し合わせたように皆ハイキングに毛の生えた低い山の愛好者だった。多かれ少なかれ同じ体験をしてきたばかりの四人は、まるで十年の知己がここで再会したような話の弾みようである。私は残り物のチョコレートを手で割って配った。
若いアベックが駆け込んできた。
「時間じゃないの」
話は中断して、五十分はあっという間だった。
その間にも闇はこの小さな無人駅を包みこみ、駅前の道路を隔てて富士川の広い河原の中に細い流れがわずかに光るだけ。目前の篠井山や、二人の山男の越えてきたという山々は、墨絵のようにその輪郭だけを残していた。
私たちはそれぞれリュックを背負いすぐ脇のホームに出た。ホッペの赤い女の子が形ばかりの改札口に身を乗り出して、テレビでよく見るタレントのようなバイバイをして男の子と別れている。
山もいいが人間もやはりいい。
《終》
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