【エッセイ】神保町で
長男に、年の離れた三人目の子どもが生まれた。孫の顔を見に久しぶりに上京した帰り「神保町の古本屋をひやかしに行こうか」と夫が言う。
地下鉄三田線を神保町で降りて地上に出るとエンピツのような細くて高い古書センタービルを先端にずらりと古本屋が軒を並べている。私たちは一軒一軒のんびり覗いて歩いた。どの店にも専門分野があって、それぞれ独自の雰囲気を持っている。
「うちじゃ、こういうの、あんまり……全部で千二百でよかったら」
店員の声に目を向けると、学生らしい後ろ姿が見えた。そのあと天井まで埋め尽した本棚の間を、足早に出て行ったのは髪の長いジーンズの女の子だった。レジの脇に束ねた参考書風の本が置かれていた。
もう一人の店員が電話で話をしている。
「……五分ぐらいならとめても構わないでしょう。あ、今なら空いていますよ」
目で店の前を確認しながら受話器を置いた。やっと一台分の空間に車が滑り込んできた。
バタンという音と共に、段ボール箱を重そうに抱えた四十歳ぐらいの男の人が飛び込んできた。
「今電話した者ですが……」
大学の助手か研究者風だ。だとすると箱の中味はぶ厚い専門書では?そんなに慌ててまで大事なものを売るのか──
気にかかる。
作家の仕事の基本は古書店でいかにいい資料を集めることだとも聞く。没落した旧家へ蔵ごと古書を買い付けに行く古本屋の話も本で読んだことがある。古書の中に立っていると、ここが人間の英知と文化、そして人生の浮き沈みをも含んだとても人間臭い場所だという気がする。
夫は民俗学と映画の本を二冊、私は自分の生まれた年の『婦人公論』を一冊求めた。当時の定価は五十銭、売り価は千円だった。
孫も本を楽しむ人間に育ってくれるだろうか。
《終》
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