やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2012年11月09日

【エッセイ】暑い長い一日


【エッセイ】暑い長い一日 


 前から来ることは分かっていながらとうとう来たかという思いで当日を迎えた。今日は夫の定年退職の送別会の日である。
 夫は出掛ける前から大変であった。「ネクタイこれでいいかな」と鏡の前で、この暑いのに背広まで着ている。「上着は持ってけばいいじゃないの」というと「あいさつする時は、着なきゃならないから、合わせてみてるんだよ」という。普段はあきれるほど、着るものに無頓着な夫である。やはり緊張しているようだ。「あんまり飲まないでよ」「主賓が酔っ払っちゃさまにならないよ。いつも送っていたのに、送られるんだからな今日は──」。私もなんだか胸がきゅんとなった。
 送り出してひとりの夕食の仕度をしながら今頃、始まったかなと時計を見た。誰が喋っている頃かな、知っている顔のあれこれが目に浮かぶ。
 夫は若い女の社員に送られて、大きな花束や、写真の額や、紙包みを抱えて意外に早く帰ってきた。盛大だったと嬉しそうなくせに、しんみりするものもあるらしく、二次会のカラオケを振り切って帰ってきたという。定年退職には、両手を挙げて喜んでばかりいられないものが当人にもあるらしい。
 紙包みの中から、古株の社員のSさんから贈られたという織部の作者名の入った小柄な徳利と猪口が二つ出てきた。温味のある品のいい色合いだ。テーブルに並べて眺めていると、これにとろりとしたいい日本酒を入れて、炬燵でさしつ、さされつというのも悪くないと思う。そんな時は、気の利いた小鉢に鯛の刺身が二、三きれぐらい。夏なら木綿豆腐に青紫蘇のせて……。案外、老いだって怖いものでも、悪いものでもないかも知れない。小さな徳利と猪口を両手で慈しみながら自分に言い聞かせてみる。
 まだ二、三日残務整理があるとはいえ、実質的には今日から大きな軌道修正に入る。人生は必ずくる死に至る旅みたいなものだが、今日私たちは新幹線からローカルの身延線に乗り換えるのだ。夫は二か月休んで充電して身分を変えて同じ会社に勤めるが、責任の重さからいってやはり身延線だろう。
 しかし各駅停車のローカル線には新幹線にはないいい所もある。第一窓が開く。涼しい風を肌で楽しみ、弁当だって窓から買える。乗り降りする高校生の会話にいまどきの若者を感じたり、腹を立てたり。病院通いの年寄りの愚痴を聞いてやったり、華やいだOLのファッションに時代の風に吹かれてみたり。心のゆとりと好奇心さえ失わなければ、どんな生活にも楽しみが見出せる。いつも通り過ぎている知らない駅に気まぐれに降り立って、思いがけない小さな旅を楽しむことだって出来る。
 人生列車の隣の席に乗り合わせた夫でさえ終点までずっと一緒であるとは限らない。一緒に死ぬわけではないだろうし、離婚という途中下車をしてしまうことも、この年になっても、決してないとはいいきれない。
 人生五十年の頃は、子供も多く、子育てがすめば、燃え尽きるように死んでいったが、これからはまだ三分の一ちかい大人の人生が残っている。現在の実年は、健全に人生を全うすることは至難のわざになってきた。
 情報化社会にあまり踊らされず、自分の意見をしっかり持つことと、どんな生活に変化しても、それを楽しんでしまうくらいの強さと広さ、それに柔軟さと、したたかささえ必要かも知れない。
 いつもの場所に座って、いつもの湯呑みでお茶を飲みながらも、お互いの心の中で大きく何かが変わりつつある予感を押さえきれない。変えようと思わなくても生活は自然に変わるだろう。その変化に柔軟に対応しながらも流されずに自分らしく生きたい。
 幸い子供たちは成人し、それぞれの家庭を営んでいる。私たちの両親はみんな他界している。これから私たちは「ねばならない」ということに振り回されることは少なくなった。他人と比較し一喜一憂することも少ないはずだ。
 真面目人間の私は、いままで、よき妻、よき母となるべく背負わされていたというより好んで背負い込んでいた多くの「ねばならない」をよっこらしょと肩から下ろして、これからは旅を続けたい。
「この徳利で一杯やらない?」
「いいねぇ」
「年を取った時の予行演習よ」
 冷酒をままごとのように、注ぎ合いながら、いろいろなことが去来した、暑い長い一日はようやく終わった。

《終》


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posted by maruzoh at 08:31| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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