【エッセイ】白い芍薬
三島大社の大鳥居をくぐると、吹雪が舞いかかった。「素敵なお出迎えねぇ」。久しぶりに会った幼なじみの友人と私は、人込みに押されるように境内へ入っていった。
四月初めの日曜日、桜の満開と重なってまるで秋の大祭のような人出で、露店もずらりと並んでいる。大きな瓢箪池の周りのしだれ桜は濃淡とりまぜて真っ盛りだ。頬をなでる微かな風にもはらはらと散って、ピンクの花びらがレースのように池を縁取っている。
正面の中門の前に人垣ができていた。見るとちょうど結婚式の集合写真を撮り終えたところだった。花見に浮かれた人たちは、思いがけなく本物の花嫁さんが見られるチャンスに恵まれて集まってきたらしい。
前列の中央に座った花婿さんは文字通り紋付袴姿で、立ち上がるとすぐに深々と頭を下げ律義にあいさつに回っていた。
対照的に花嫁さんは堂々としている。隣に立つ仲人らしい人と大口を開けて笑いながら話している。開けた口に花びらが飛び込みそうだ。
「このカップルは恋愛結婚だね」
と友人は笑った。私は
「花見ごろを選んだってことも現代っ子らしいわ」
と答えながら、伊藤左千夫の『野菊の墓』の民を思い出していた。この作品は一九五五年、木下恵介監督が『野菊の如き君なりき』と題して映画化し、回想場面を楕円形の画面にして話題を呼び映画史に残る名作となった。
年下の従弟政夫と民の純愛は、明治末期の農村では許されなかった。政夫の母は地主だった夫を亡くし、病弱の身体で大きな農家の切り盛りをしている。政夫と民の気持ちは理解していても使用人の手前や、村の世間体もあって、暖かく見過ごすことはできなかった。
仕事が遅れて仕方なく、二人きりで遠くの畑に綿摘みに行った帰り「民さんは野菊のような人だね」と政夫がいう。「政夫さんは竜胆のような人だわ」と民は答える。結局、二人は引き離され、政夫は中学の寮へ、民は家に帰され意に添わない結婚をする。
その門出のとき人力車の上の花嫁はキッと前を向いている。民の心をよく察している一番の理解者の祖母がそっと傍に寄り「民や、花嫁さんは下を向いてゆくもんだよ」と囁く。民は目を伏せて出て行くのだった。やがて民は婚家になじまず病を得て早世する。
「花嫁さんも時代とともに変わるものよね」
という私に、花嫁になりそびれた友人は
「まるで向日葵みたいなお嫁さんね」
といった。
「でも、これからが出発なのよ。運・不運もあるし、相性ってものもあるしね。努力すりやいいってものでもないし……」
私は経験者としての本音を吐いた。
若い父親の肩車の上で、桜色の綿菓子を食べている子どもや、年寄りの手を引いて花見に連れてきた夫婦などとすれ違いながら、私たちは人混みの中を歩いた。
「私が知っているだけで三回くらいチャンスがあったと思うんだけど、どうして結婚しなかったの?」
友人は
「結婚ってくじ引きみたいなところあるじゃない。私、くじ運悪いから」
といってごまかした。
「外れくじだったらまた引き直せばいいのよ」
「他人事だと思って簡単に言うじゃない」
「それにさ、このくじは長く持っているうちに変わることもある、不思議なくじでもあるのよ」
「面倒なことはたくさん。私は自分のためにシンプルに生きるわ」
男社会の中で定年を迎えた友人の本音かもしれない。露店の植木屋の前にしゃがみこんで見ていた友人は、つぼみを持ち始めた白い芍薬の苗木を一株買い求めた。
「あなた芍薬好きだったよね」
「そうかしら?」
友人は笑った。品よく、それでいてきりっと咲く花が彼女に似合っていると思った。
《終》
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