やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
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名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2012年10月20日

【エッセイ】中井出の叔父さん


【エッセイ】中井出の叔父さん 


 中井出の叔父さんは、亡くなった父の妹の連れ合いである。終戦後のぎすぎすした世相の中で、大抵の大人は、よその子どもにも優しく声をかける心の余裕を失っていた。ところが叔父さんはたまに顔を見るだけなのに、いつも耳に優しい声で、子ども扱いしない言葉をかけてくれた。
 叔父さんは、北山村の代々名主の家に長男として生まれた。三代さかのぼった内藤重太郎という人は、『富士宮市史』にも出ているから、江戸時代中期からある家系図もうなづける。ところが叔父さんの父親が、二十七歳の若さで早世したのが苦労の始まりだった。
 大家から嫁に来た未亡人は、家のため夫の弟と再婚したが、その人も早世してしまった。叔父さんは大家の長男でありながら、少年時代から労働力だった。農学校を卒業し、成人して私の父の妹を娶ったのである。町の女学校を出たばかりの、まだ十代の、丈夫だけが取り柄の嫁は、次々男三人、女一人の子どもを産んだ。なぜか早世者の多い、当時としては子どもの少ない家系だっただけに、「ああ、これから」という時、戦争になった。
 田畑、山林はあっても現金収入の少ない農家の切り盛りは、かつて名主だった体面があるだけに大変だった。勤め始めた働き手の叔父さんに、召集令状は非情だった。叔父さんは出征する晩、掻き集めた当時の金で三万円を妻に渡して、母と子どもたちを頼んだという。この叔父さんと叔母さんのことだから、黒光りする大黒柱の前にきちっと正座して向き合い、三万円を前にして他人行儀に最敬礼をしあったんじゃないだろうか。
 叔母さんは家と家族のため、夜を日に継いで働いた。昼食は地下タビを脱ぐ間を惜しんで、いつも腰掛けて済ましたという。雨にも負けず、の詩から脱け出てきたような叔母さんである。国のお達しで長櫃の中にあった代々伝えられた槍や刀、自由民権運動の頃のピストルまでお国のために供出してしまった。古文書だけが残ったが、戦争は負けた。
 叔父さんは、待っても待っても帰ってこなかった。周りを見回してもほとんど復員し、そんな姿を見るのも、話を聞くのもつらかった。たとえ白木の箱に小さく納まってでも帰ってほしい、とさえ思ったという。
 祈る気持ちで待つこと四年、シベリヤに抑留されていた叔父さんは、骨と皮になって帰ってきた。その時必死で守り抜いた三万円は手つかずで残っていたという。しかしこの夫婦にやがて立て続けに二人の女の子が生まれたのは、大人になった今になって思うとほほえましい。
 私が高校の頃、歌声運動が盛んでロシア民謡が大好きだった。珍しく私の家でお酒を飲んだ叔父さんが、シベリヤ抑留の体験談を長々と話したのを忘れられない。石炭掘りや木の伐採、運搬などの重労働をさせられ、その上食べ物が悪くて、少なくて、あまりの空腹に生のジャガイモを盗んで食べたこともあるという。そういう時、穏やかな叔父さんに似合わず「ロ助の奴が……」とはき捨てるようにいった。
 叔父さんの仕事は前にやっていた県の農業検査員にもどっていて、時々みかんなど持って来てくれたような気がする。六人の子どもはそれぞれ社会人になり、いま三男夫婦と孫に囲まれて、文字通り晴耕雨読の暮らしである。
 六年前、苦楽をともにしたおばさんともども元気に金婚式を迎えた。その記念にと『わが里の行事のことども』という六十四ページの小冊子を上梓した。いま書きとめて置かなければ、忘れられて消えてしまいそうな、村の一年中の行事とお祭り、習慣などを書き、それが心身ともの健康管理になっていたとあり、昔の人の生活の知恵が伺える。それがまたすこぶる名文なので「へえー、叔父さん、文書いていたの?」と言うと「日記ぐらいしか書いたことないよ」と事もなげにいう。
 これがローカル紙に載り評判がいいので、七十六歳にして文章に開眼した叔父さんは、続いて『中井出ものがたり』──中井出の古い地名と屋号について──を自費出版した。親類や近所、古い知り合いからも反響があってますますやる気が出てきた。そして今年八十一歳で、供出されずに残った内藤家に伝わる四十枚の古文書を、八十の手習いで解読し、『内藤家保存古文書 解読』として、原文のコピーとともに図書館に寄贈した。
 内容は駆け落ち人探しの件や、病気大流行の奉行所への陳情書などて、中には熊というならず者に手を焼いた身内や、五人組の与頭(くみかしら)がこれ以上連帯責任は負えないから張外(人別帳から外す)にしてくれと連名で願い出ている。この熊さんに関する文書が四枚あり、江戸時代がすぐそこにあるような気がする。
 これが新聞に写真入りで紹介された朝、私は電話して「叔父さん、もっと早くから書いていたら今ごろ大作家かもよ。写真は少し暗かったけど」と言うと「なあに、皺だの染みだの隠してちょうどいい」と切り返し、八十一歳の青春はまだまだ広がりそうだ。

《終》


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posted by maruzoh at 08:08| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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