やさしいあなたに、そうでないあなたにも。
                        いろんなあなたに、こころの言葉。













   【maruzoh's profile】
   maruzoh live.jpg

名 前/maruzoh こと 熱田丸蔵
出没地/和光、富士宮、麹町
誕生日/9月7日 乙女座
好きなもの/こども、詩、絵、童話、小説、音楽、お酒、美味しいもの、犬、野球、寺、神社、花、ギター、家族
とても影響を受けた人/灰谷健次郎さん、鹿島和夫さん、ドン・カ・ジョンさん、かしわ哲さん、PANTAさん、ジョン・ライドンさん、小澤征爾さん、帚木蓬生さん
maruzohより一言/運も、人も、夢だって、欲しがり過ぎると逃げてっちゃう。幸せは、み〜んな天下のマワリモノ。みんなで仲良く分け合おう♪

2012年10月02日

【エッセイ】生きている古道


【エッセイ】生きている古道


「ありがとうございましたっ!」
 威勢のいい声に送られて、ガソリンスタンドから、車の流れの中にうまく滑りこむ。満タンにしたときのエンジンの音はいつも機嫌よく聞こえる。あゝこういう空を五月晴れというのかな。すっかり雪を落として、夏姿になった富士山を右に見て、車は快調に北に向かう。
 夫は定年を迎え、いま第二の人生に備えて充電中である。昭和一桁の人間にとって、毎日が日曜日というのはすぐ壁につき当たる。そこで趣味の郷土史の掘り起こしを楽しみながらやっている。今日は「中道往還」という甲斐と駿河を最短距離二十里(約八十キロ)で結んだ古道を調べに行く。
 私は五十三歳で免許を取って五年め、今日他県の初めての道をかなり長距離走ることになるので、朝から緊張した。県 境を越える頃からすっかり落ち着いて、久しぶりに同じ目的のために、力を合わせて積み上げて行くことに、気分の安らぎと充実を感じた。
 本栖湖の先にある上九一色中学の前の道で倒れている板を起こすと、「武田最前史跡・両替屋敷跡」とある。立看板の下の部分が腐ってしまい倒れたらしい。ここは本栖湖の前を通る道から続いて林の中を通り抜け、中学校前の広い道路に出たところである。この林の中が両替屋敷だったなんて──。そしてここから斜めに突っ切った位置に小道の入り口があって、自然観察路となって精進湖まで続いている。そこがかつての中道往還であり、すぐ近くを通る国道139号線の車の騒音が聞こえる。それがなければ、馬方が「イサバ」といわれた鮮魚運搬専門の馬に三十貫(百十キロ以上)もの荷を背負わせて現れてきそうなたたずまいだ。
 中道往還は、戦国時代、武田氏が滅亡した直後から急に歴史上に出てくる。天正十年(一五八二)武田勝頼を攻めるため、織田信長軍は信濃から、徳川家康軍は富士川に沿った河内路から甲斐に入った。そして帰路は共に、駿河に出る最短距離であるこの中道往還を凱旋している。天下統一を目前に、高ぶる気持ちで富士を仰ぎながら帰ったことだろう。
 信長は四月十日甲府を出発した。家康は信長の行路に万全の気配りをし、兵が担いだ鉄砲や槍のために立木の枝払いをし、道を広げ、石を除き、水まで撒いた。道の左右に警固の兵を置き、宿泊地に陣屋を建てた。将兵のための小屋も千軒も建て、朝夕の食事は沿道の民に申し付けたと『信長公記』に書いてある。
 その年の六月に本能寺で信長は殺された。それを知った家康は七月七日には、もう甲斐計略のためこの辺りまできている。驚くことに、村人たちは右左口(うばぐち)・精進から駿河の人穴まで徳川軍を出迎えて、道路の整備や荷物の運搬を申し出ているのだ。私がいま車で走ってみて、右左口から最近できたトンネル道を通っても一時間、精進からでも三十分はかかる。気を見て敏というか、バイタリティがあるというべきか──。当時の権力者の力の大きさが民をいつも脅かし、民はいつも自分を守るため必死で生きていたことが伺える。このときの働きで村々は「諸商売の免許」の朱印状を家康からもらい、駿河から鮮魚や海産物・塩などを甲府に運ぶ権利を得たのである。
 右左口宿では、江戸中期に約四割が商人だったという。駿河湾で漁師が朝獲った魚を「イサバ」に背負わせ、次の朝七時には甲府の問屋に着いたという。また鮪が大量に獲れたときには、精進から男も女も十貫もある鮪を背負ってワラジ履きで峠を越えたと、『甲府市史』に記録されている。
 しかし、明治三十六年中央線が開通し、さらに昭和三年身延線が開通して、このルートは急激に廃れてしまった。富士宮市上井出を通る中道路は、最盛期七間(一二・六メートル)の広さが、一番さびれた時には、人ひとり通るのがやっとで両側から草がかぶさっていたと『大宮町誌』にある。
 そしていま、また陸送の時代になり、難所だった女坂峠と迦葉峠は、長い有料トンネルになっている。道というものは、時代と共に生きていると思った。
 私たちは宿場だった町並みや、古道に巻する史跡や遺跡を調べながら山梨県中道町へ着いた。町営の土産店で、特産品の一つに、煮貝というのがあるので、この山の中にと不思議に思った。これは駿河湾で捕ったあわびを煮汁に付けたままここまで運んでくると、ほどよく味がしみるので、山の国の名物になっているというのである。
 かくて結構面白くて、為になった私たちの一回めの弥次喜多道中は無事に終わった。夫のナビゲーターもなかなか上手くなり、私の知らない山道や、長いトンネル、初めて聞く名前の町もいくつか通りぬけた。次回は中道町から笛吹川を渡り甲府市へ行く計画だ。運転の自信もついた。どんな古道が待っているのか楽しみである。

《終》


※本サイトの作品は、にほんブログ村「現代小説」ランキング、人気ブログランキング「現代小説」に参加しています。宜しければ、クリックお願い致します。

 人気ブログランキングへ にほんブログ村 小説ブログ 現代小説へ

posted by maruzoh at 07:45| Comment(0) | ◆澤田節子作品集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

検索
 

title.gif
maruzohは、アートビリティ作家さんを、応援します!

●ご連絡先● 〒165−0023 東京都中野区江原町2−6−7
社会福祉法人東京コロニー アートビリティ事務局内
TEL 03−5988−7155/FAX 03−3953−9461
●営業時間● 平日 9:00〜17:20 / 土・日・祝日 休業日