【エッセイ】山 桜
「思いついて急にお墓参りに来たのよ」
古い友人からの突然の電話だった。ざわめきの向こうから、駅のアナウンスが聞こえる。
「どういう風の吹き回し?付き合うわ」
「ほんと?帰りに話すだけでいいと思っていたのに・・・。ありがと」
友人は待ち合わせた橋の上から、川を覗きこむようにして花束を持って立っていた。
「水、きれいねぇ」
明るい春の光が浅い川底の小石までくっきり見せていた。彼女は不意にフリージアを一本引き抜くと流れに落とした。花は見え隠れしながら流れて行った。
その墓は、父親の実家の先祖代々の墓地の隅に、仮住まいのように丸い自然石を載せてある。一度来たことがある坂道の途中で立ち止まって見上げると、前方の斜面に一本の山桜が満開だった。
「ここに桜があったのねぇ。おじさん亡くなったの冬だったから……」
山桜は白に近い薄いピンク色で、綿菓子を引きのばしたように横長に浮いている。
私は持参した缶ビールを丸い石に半分注ぎ、残りの半分を供えた。
「おじさん、お酒好きだったわねぇ」
終戦後間もない何もなかったころ、遊びにいった私に仕事の手を止めて、するめを焼いて出してくれたことを思い出した。おばさんは留守で、当時するめは貴重品だった。
彼女は戦争中、この町に疎開してきて住みついてしまった画家のひとり娘だった。
「おじさん三男だから、ダンナさんと相談してちゃんとしたお墓造ってあげないとね」
彼女は定年までキャリアウーマンとして勤め、かなりの退職金を手にしたのを知っていた。
「私もそこに入んなきゃなんなくなったから、立派なの建てるわ」
「じゃあ、とうとう決着つけちゃったのね」
私はそこだけ明るくなったような山桜の木の下に立って彼女の長い長い祈りが終わるのを待っていた。
《終》
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