鳥 影
高校二年生のときだった。アイウエオ順で決められた座席の前と後が山梨県から来ている人だった。F市は山梨県と入り組んで隣接していて人の交流も多かった。
前の席のSさんは新聞部に入っていて洒落っ気のない男っぽい人で気が合って、よく話した。
丈夫そうなSさんが二週間も休んだ。同じ電車に乗ってくる後の席の人に聞いても要領を得ない。そのうちに、耳を疑うような噂を聞いた。彼女は妊娠して、堕胎のため甲府の病院に入院中だという。
今ならそんなに驚く話ではないかもしれないが、昭和二十八年のことで、私にはとても信じられないことだった。
次の日は日曜日で、私は見舞いのつもりでビスケットを持って電車に乗った。聞いていた駅名で降りると、一緒に降りた人の後について広い河原を風に吹かれて歩いた。
聞き聞き探し当てたSさんの家は崖の下にあった。田舎には珍しい小さな家だった。
割烹着を着たお母さんが出てきて
「甲府の病院へ入院してるでねー」
という。やっぱり噂は本当だった。
青年団の短歌の会で知り合った、隣村の地主の長男と学校やめて一緒になるはずだった。それを先方の親の一方的な反対で本人にも裏切られたのだと、お母さんは十七歳の私の前で声を出して泣いた。
つい先日まで、冗談を言い合ったり、聞きかじりの社会論に口角泡をとばしていた友人が、こんな世界を持っていたことに驚いた。
Kという名前を聞き出すと、頼まれもしないのに、わたしは一人で峠を越えて乗り込んだ。
蔵のある大きな農家だった。どんなやり取りをしたのか今は思い出せないが、おじいさんと、お母さんらしい人がいたのと、大声で怒鳴られた言葉は忘れられない。
「誰に頼まれてきた!金か?」
「もう、話はついてるはずだ」
とても太刀打ちできる相手ではなかった。とぼとぼ峠を越えて帰ってきた。Sさんの家の前を通るとき、行ってきたことだけはお母さんにひとこと告げて帰ろうと小さな玄関に立つと、ご飯の炊ける匂いがした。
「せっかく炊いたんだから」
と、無理やり家に上げられた。丼に炊きたての白いご飯、生卵一個にタクアンのそばに醤油が置いてあった。学校というある種の温室の中で見ていた彼女とは違う世界だった。
お母さんは子どもじみた私のお節介に
「ありがとうねぇ」
と、横に座って話を聞いてくれた。熱いご飯を丼一杯食べ
てしまい、湯気と涙でかすんだ風呂場の窓に地下足袋が二足干してあるのが見えた。
一週間くらいして本人から手紙が来た。お礼とあの村にはもう居られない、学校はやめる。奨学金をもらっているので、人に相談できないと切羽詰った話である。お金を少しでも多く貸してほしいと書かれていた。
指定された日、F駅のホームで待った。彼女は急に色白になって、大人びて見えた。以前の彼女とは別人のようで直視できないような気がした。
私が夏休みにアルバイトをした全財産を入れた茶封筒を渡すと、涙ぐんで受け取った。
「いつか必ず返すね。落ち着いたら手紙書くから──」
去って行く電車を見送って手渡された文庫本をめくると、電車の中で書いたのだろう、行間に私への感謝の手紙がパラパラ漫画のように、とびとびに書いてあった。
私はこのことをSさんのお母さんにも、クラスの友人にも言わなかった。それから葉書さえこず、消息は全然分からなかった。
最近になって、彼女がふるさとの近くに帰り、夫と二人の子どもと幸せに暮らしていると風の便りで知った。会って見たい衝動に駆られた。
こんな昔の話でも、Sさんの配偶者はこだわるだろうか、もし知られたときのことを思い夫に聞いてみた。
「口では何と言おうと、心の中ではこだわると思うね。子どもや孫もいることだし」
静かな池に小石を投げ込むのはやめようと思い至った。
あのことは、彼女や私の人生の上を一瞬通り過ぎていった鳥影のような出来事だったと思うことにした。しかし会って五十三年の話をしてみたい気もする。
《おわり》
※本サイトの作品は、アルファポリス「webコンテンツ」、にほんブログ村「現代小説」ランキング、人気ブログランキング「現代小説」に参加しています。宜しければ、クリックお願い致します。

