恋愛ごっこ ―第6回―
時蔵はコンビニから買ってきた弁当をどさりとテーブルに置いた。この頃は時々自分で味噌汁や煮物ぐらい作るのだが、今日はそんな気分にはなれなかった。
電話が鳴った。(こんな時間に、息子かな)受話器をとると意外、国子だった。
「夕ご飯中ですか? 今私も食べながら思いついたのですが、明日精進揚げしようと思って――。私、料理得意じゃないけど、これだけは自信があるの、余分に揚げて、お昼に間に合うよう持ってってあげますね」
「えっ、本当ですか」時蔵は夢かと思った。
「ええ、期待していてください」
「じゃあ、ご飯は炊いときます。一緒にどうですか」
「うーん、それじゃ一緒に教室に通い始めたお友達を誘ってくだされば……」 話はとんとん進んだ。
教室は午前中の十時から十一時半までである。急いで帰り着くと、大きな風呂敷にふんわり包んだ揚げ物を持った国子が家の前に立っていた。
「お待たせしたかな?」
「いいえ、揚げたてをと思って時間に合わせてきましたから――」
「やあ、私はお邪魔なお相伴で……始めまして佐藤です。よろしく」
明彦は国子に会釈してから、時蔵を見た。
「こちらこそ、よろしく」
「狭いところですが、入ってください」
時蔵は先に入って二人を招じた。
「間に合ったかしら」小太りの富子が寿司ざましを入れた風呂敷を吊るして入ってきた。
「あれ? 奥さん」時蔵は怪訝な顔をした。
「ちらし寿司を作ってきました」
明彦が釈明した。
「こいつは、これだけは上手いんだよ」
「これだけとは何よ」
「まあまあ、奥さんもご一緒に――」
「勿論、そのつもりですよ。一人で食べるより大勢の方がおいしいからね」
「取りあえずビールで――」
時蔵は舞い上がって、いつもよりオクターブ高い声を出してしまっている。
「昼間からビールですか」という国子に
「じゃ、乾杯だけ……先生は怖いからな!俺は子供の頃から先生は苦手だ」
明彦がみんなを笑わせる。
「私も仲間に混ぜてくださいよ。何しろ混ぜご飯を作ってきたんだから」
「どうぞよろしく小林です」
「いいお友だちができそうで、うれしいですよ」
「何しろお前の友だちは、騒々しくてかなわん。こういう上品な友だちができるのは俺も大歓迎だ」
「今度、このメンバーで旅行しない? パック旅行はもう飽きたし、二人っきりより」
国子は身控えたが「勿論、男同士、女同士で泊るのよ」という富子の軽口に、時蔵はどきっとしたり、ほっとしたりした。
婦人会の役員をしている如才ない富子の采配で初めての昼食会は思いの外にぎやかに、スムーズに進んだ。終わりの頃にはまるで十年来の知己のようであった。亡くなった時蔵の妻美代子を知っている富子の大いなる好奇心のなせるわざであったようだ。
送るというのを辞退した国子を、じゃ図書館に返す本があるからそこまで一緒にと、時蔵は追いかけた。
昨日、何度も立ち止まって上っただらだら坂を、今日は物足りないほど呆気なく下ってしまった。途中、スピードを出したオートバイが通ったりして、時蔵は歩道のない坂道で国子をかばうように石垣にへばりついた。染めていない白髪の少し混じった髪の毛に、ふと触れてみたい衝動に駆られた。図書館前ではつとめてあっさり別れた。
その日の夕方、台所の窓を大きく開けて、国子は久しぶりにスケッチブックを出した。茶畑の向こうに連なる山並みの上に、見事な鰯雲が出ていた。山の端から上に、まるで舞台のバックのように中天の青から山の端にかかる茜色まで色の層ができている。そしてそれが、ごくわずかだが色が変わり続けてゆく。少し目を離すと思わず驚くほど暗くなっていくのだが、見詰めていると気がつかない。しかし、それは必ずくる漆黒の闇に向かっていることは間違いない。
国子は今、私はこんな夕暮れの中にいるのだな――まだ明るいうちをじっくり味わって大切に生きなければと思った。
台所の窓の下には、数少ないレパートリーの中のポテトサラダが小さなボールいっぱいできている。
いつもの時間に近くのお茶工場でパートをしている弟の嫁の澄子が通る。国子は素早くスーパーのパックの空容器をきれいに洗ったのに半分以上移し替えた。
「澄子さーん、ちょっと寄って!」
澄子は立ち止まった。
「これね母さん好きだから……容器は捨ててね。皿返しに来ながら、いい年した娘に長々お説教されちゃ、たまらないから」
澄子には国子の言葉がピンとこなかったようだったが
「いつもすみません。お姉さんこの頃若返ったみたい」
「こんなもので、見え透いたお世辞を言わなくっていいの」と、二人は大笑いした。
澄子が帰った後、風呂場の鏡を見て、国子はにっと笑ってみた。
《つづく》
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