ケンと シロと そしてチビ 最終回
桜の花が、舞っている。
見渡す限りの満開の桜の中、
まるであの日のように桜の花が、舞っている。
毎年、春の訪れを祝福するように咲き誇り、
そして、散っていくこの無数の花たちにも、
ひとつとして同じ花が無いように、
犬も、猫も、そして人も、その一生に同じものなんて無いし、
それぞれの一生の重みに、優劣なんてありはしない。
「子どものお前には、桜の花の本当の美しさの、
そのまた真の美しさが判るまでには、
まだまだ時間がかかるんじゃろうなぁ」だなんて、
何処かの誰かさんが、したり顔で言ってくれたけれど、
じじい、あんたがあの日、気づかせてくれたんだぜ。
桜ばかりじゃなくって、生きることの美しさってやつをね。
あの狂い咲きの桜の日からもう半年が経って、俺さまはまた、桜の舞い散る河原沿いの桜並木を訪れている。シロは随分と迷ったようだけど、俺さまの達っての願いもあって、満開の桜まではこの村に逗留することになった。じじいとの約束もあったしな。
あれから何が変わったかと言うと、一番のニュースと言えば、俺さまに家族が出来たってことだろうな。まあ、当然の結果なんだが、俺さまの嫁さんと言ったら、勿論、裏のミケしかいないさ。それと、ちょっと照れちまうんだけれど、3にんの子どもたち。俺さまと同じトラに、嫁さんと同じミケ、そしてもうひとりはと言うと、なんとクロ。生まれてもう2ヶ月ちょっとになる。
シロは満開の桜並木を目の当たりにして、相変わらず気取った振りをしているくせに、ついつい浮かれちまってんだろうな。時折尻尾をパタパタ振るものだから、子どもたちがシロの尻尾めがけて次々と突撃をしては、転げ回って遊んでいる。
「おとうちゃん、桜の木に登っていい?」
「ああ、気を付けるんだよ」
中でもこのクロの奴は、他のふたりとは比べ物にならないほど気も強いし、好奇心旺盛なんだ。運動神経だって抜群だ。
「シロおじちゃん。
上手に登るの見せたげるからよおく見ていてね」
「いいともクロ、頑張れよ」
俺さまは、この子を見ると以前じじいから聞いた犬のクロのことを、つい思い出しちまうんだ。
「この河原の桜並木の満開。
じいさんが言ってたとおり、まるで天国みたいな素晴らしさだね」
「風来坊のシロが、こんな片田舎の山奥に、
かれこれ半年以上も居た甲斐があったってもんだな」
「おいおい。
僕は確かにノラだけど、風来坊ってのはちょっとなぁ・・・」
シロが笑いながらふくれて見せた。
「ははは、旅人とでも言い直したほうがいいかい?
でもなぁ、飼い猫の俺さまやじじいからしたら、
風来坊なんて言葉は、立派な褒め言葉なんだけどなぁ」
「それはそれは、実に光栄だね。
でも、きちんと奥さんを貰って、ここに根を張ったチビからしたら、
確かに僕が根無し草に見えたって仕方ないけれどね・・」
シロにそんなことを言われると、妙に照れくさくなっちまう。
「いや、まだまだだよ。
俺さまなんて、まだやっとこさ根を張り始めたばっかりさ。
じじいみたいに根を深くまで張るのは、これからさ」
「うん、確かにね。
でも、この子たちの可愛さといったらどうだい?
チビはこの子たちのためだったら、何でも頑張れそうな気がするだろ?」
「ああ、そうだな。
父親になるって、なんか不思議な気分だよ。
なんたって、みんな俺さまにそっくりだからなぁ」
「ホント、よく似てるよ。
じいさんに、一目、見せてあげたかったなぁ」
シロはまた桜に視線を戻して言った。
「そうだな。見て、欲しかったよ・・・」
「じいさんったら、
『チビはわしの息子なんだから、そのチビの子はわしの孫じゃ』
なんて言ってたんだもの」
その時、桜の花の中から、クロの声が遠くで聞こえた。
「シロおじちゃーん、見てぇ、早くぅ!」
「しまった。悪戯小僧の木登りを見せてもらうんだった」
そう言うとシロは、花の中に隠れちまったクロを探しながら慌てて桜並木の中に消えていった。ひとりになった俺さまは、また、あの日のことを思い出していた。
あの日、じじいは桜の下で倒れたまま、もう立つことはできなかった。
トーサンに抱きかかえられたまま家に帰ったじじいは、カーサンを見てすっかり安心しちまったんだろう。甘えた風に鼻を鳴らしてカーサンにその鼻先をこすりつけると、口元に精一杯の笑みを称えて、ゆっくりと目を閉じた。そして、それきり、もう2度とじじいが、目を開くことはなかった。トーサンとカーサンは、動かなくなっちまったじじいを、いつまでも、いつまでもなで続けていた。
俺さまは、動かないままのじじいの傍らに立った。そして、最後になるだろうこの言葉を、じじいの耳に届けてほしいと、桜の神様に祈った。
「お、俺さまなぁ、ミケと結婚することになったんだ。
言われた通りにしたんだぜ。
喜んでくれよ、あんたのお陰なんだよ。
遅れをとった恋は、1に攻めて、2に攻めろってさ。
頑張ったんだよ、俺。
い、今まで・・・
本当に、あ、ありがとう・・・
そして、ごめんね。
お、お父ちゃん・・・・」
クロの木登り見学から開放されて、ようやく帰ってきたシロが、神妙な顔つきで俺さまに声を掛けた。
「チビ、例のクロのことなんだけどさ・・・」
実はちょっと前、俺さまはシロに、あるやっかいな相談をしていたんだ。
「ああ、どうだい?シロの腹は決まったかい?」
「クロが望んでいるんなら、とは、思うんだけどね。
でも本当に、チビもミケちゃんも、本当にいいのかい?」
「そりゃあ俺さまだって、最初から賛成ってわけじゃなかったし、
何度も何度も考え直せって止めもしたさ。
でもクロの奴、言い出したらてこでもきかないんだ。
まさか、じじいに似たわけじゃないんだろうけどな。
あいつは筋金入りの頑固者なんだよ」
「確かにね・・・」
「それと、何よりクロはさ。
シロ、お前のことが、大好きなんだよ。
お前さんを心底尊敬して、憧れてんだよ。
だから・・・」
最後まで迷っていた風だったシロだけど、その一言で吹っ切れたようだ。
「分かったよ、分かった。
クロを一緒に旅に連れて行くとしよう」
「ありがとう、頼むよ」
「出発は、葉桜の頃だ。もう何日もないよ」
そう、俺さまは、クロの奴がどうしてもシロと一緒に旅に出たいってきかないのを、シロに相談していたんだ。こんな馬鹿げたお願い、シロもなかなか首を縦に振らなかったんだけれど、これでやっとクロの願いが叶う。でも、以前の俺さまだったら、こどもの家出を応援するなんて、そんな気には絶対ならなかったろうになぁ。
俺さまは、ひとつ大きく深呼吸をしてから、今度はモンシロチョウを追いかけているクロに向かって叫んだ。
「クローッ、行けるぞぉ!
シロが、オーケーしてくれたぞぉ!
シロと一緒に、旅に出られるぞぉーっ!」
俺さまの声に笑顔で振り向いたクロの手を、
するりとモンシロチョウがすり抜けた。
舞い続ける桜の花びらの中、モンシロチョウがとまった枝には、
もう薄緑色の新芽が芽吹き始めている。
《おわり》
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