ケンと シロと そしてチビ 第29回
さっきのじじいの言葉は、俺さまの心に沁みたよ。
じじいの本当の気持ちが、言葉と一緒に俺さまに流れ込んできて、俺さまがじじいの喜びで満たされちまったみたいだった。じじいの生きてきた証なんだろうな、これが。残された時間は少ないかもしれないけれど、これからの俺さまは、きっとじじいに素直に接することができる。今まで出来なかった親孝行の真似事、遅いだろうけどしたいな。
そうだ!まずは家に帰ったら、秘密にしてたあの重大発表ってヤツをしてやるとするか。じじいもシロも、びっくりするだろうなぁ。
俺さまがそんなことを考えていると、ひょいっと頭をもたげたじじいが、しきりに鼻をクンクンとやりだした。どうしたんだろう?具合でも悪くなったんだろうか?
「じ、じじい。どうしたんだ?」
「じいさん、気分でも悪いのかい?」
俺さまとシロが交互に聞いても、じじいはさっきより一段と激しく鼻をクンクンさせるばかりだ。
クンクンクンクン・・・
「じじい!苦しいのか?」
じじいが、振り向いた。
「クンクン、お前さんたち、
クンクン、ネコには、
クンクン、分からないかい?」
どうやら苦しいんじゃなくって何かが匂っているらしい。
「鼻に関しちゃ僕らネコは、
じいさんたちイヌにゃ、全く敵いやしないよ」
「その通りさ。で、じじい、いったい何が匂うってんだよ?」
じじいが天を見上げて、うっとりと笑った。
「神様は、本当にいらっしゃるんじゃなぁ。
叶えられそうもない約束だったけれど、
それをわしらに届けてくれたんじゃよ・・・」
じじいはそう言うと、急にむっくりと立ち上がった。
仰天して顔を見合わす俺さまとシロに目もくれず、じじいは前足を大きく踏み出すと、な、なんと、驚いたことに、河原に向かって駆け出したんだ。
「じ、じじいっ!」
「じいさんっ!」
度肝を抜かれた俺さまたちの声に振り返ったトーサンが、走り出したじじいを見つけて、声も出せずに目をまん丸にしてる。
「わうわうわうっ!」
じじいは3度吼えてトーサンの脇をすり抜けると、そのまますっかり葉を落とした桜並木の方にスピードを落とさず駆けていった。
「おい!一体全体どうなっちまったんだ?」
「そんなの、僕が聞きたいくらいだよ・・・」
俺さま、シロ、トーサンの順で俺たちは追いかけたんだけれど、あのじじいのどこにそんな力が残っているんだ?これが追いつけやしない。
「ケーンッ!待てぇ!待つんだぁ!」
「わうわうわう・・」
かなり先の方から、またじじいが3度吼える声が聞こえた。俺さまは、不思議な期待とともに、何か重苦しい胸騒ぎがしてならなかった。
加速したシロの奴が俺さまをびゅうんと追い抜いていった。最近は随分と鍛えてるつもりだったけど、まだまだ野生の残っているこいつには、かけっこに関しちゃ分が悪い。悔しいけどシロは、すぐに見えなくなっちまった。
暫く走ると俺さまを追い抜いたシロが、潅木の茂みを曲がる手前の辺り、落ち葉だらけの桜並木の真ん中で、なぜか呆然と立ち尽くしていた。
や、やっぱり、じじいは・・・
「シ、シロ!じじい、どうかしたのか?」
俺さまの叫び声に、シロがこちらを振り返って言った。
「チビ、僕らは夢でも見ているのかなぁ?
こんなことって、本当にあるんだろうか・・・」
息を切らしちまった俺さまが、シロが指差す潅木の先を覗いてみると、そこだけがなぜか、朧(おぼろ)な淡い光が差しているように見えた。
「・・・・・・・・・」
息を整えて、目を凝らして、もう1度よおく見てみる。
「えぇぇ・・?」
そのやさしい光の正体が判った俺さまは、倒れてるじじいに駆け寄るのも忘れて、シロと同じように呆然とその場に立ち尽くしちまった。
ほとんど葉を落とした桜並木の一角、たった2本の桜の木だけが、何を勘違いしたのか、満開の花を咲かせていた。そよ風に微かに揺れながら、真っ赤な落ち葉の上に春色の花びらを絶えず降り注いでいる。
その2本の木の真ん中、じじいは倒れていた。
いや、倒れてはいたけれど、けっして喘いじゃいないし、全く苦しそうでもなかったんだ。決して見間違いじゃない。じじいは、天を仰いで笑っていた。この奇跡をきっとじじいは、神様に感謝していたに違いない。桜の花びらを受け止めながらじじいは、本当に幸せそうに笑っていた。
「ケ、ケン・・・?」
トーサンがやっと追いついた。
トーサンも信じられないと言った風に、呆然と満開の桜を見やっている。
「こいつは、いったいどうしたってんだ。
この時期に桜の狂い咲き、しかも満開とは・・・」
俺さまとシロは、トーサンの独り言にはっと正気に戻り、押っ取り刀でじじいのもとに駆け寄った。
「じ、じじいっ!
きゅ、急に駆け出したりして、し、心配するじゃねえかよ!」
「そうだよ、じいさん。
ぼ、僕らびっくりしちゃったよ・・・」
俺さまたちの言葉にじじいは、笑いながらただ頷くだけだった。
トーサンが駆け寄ってくると、じじいは初めて「ク〜ン」と甘えた声を出した。目を細めたトーサンは、じじいの頭を、とってもやさしく、やさしく撫でながら語りかけた。
「ケン、お前は、本当にすごいなぁ。
こんな素晴らしい景色を俺たちに・・・
あ、ありがとうなぁ、ケン。本当にありがとう・・・」
「わう」
暫らくするとトーサンは、じじいをゆっくりと抱き上げて、一緒に桜の木を見上げるようにした。
「ケン、疲れたろう。ゆっくりお休み」
「わふ」
じじいは頭を下げてトーサンの胸に潜り込ませると、そっと静かに目を閉じた。
「ありがとう、ケン。
お前と出会えて、本当によかったよ・・・」
そう言ったトーサンの頬を、大粒の涙がつたっていった。
《最終回につづく》
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