ケンと シロと そしてチビ 第27回
「こっからが本番だぞぉ。
でも、ケン、本当に大丈夫か?」
トーサンの問いかけに顔を上げて「わう」と吼えたじじいは、草むらの俺さまとシロにも一瞥をくれた。もうちょっと休んでればいいのに、気の逸(はや)っているじいいは、もう出発しようとしてやがるんだ。でも、そこは流石に年の甲のトーサンだ。
「ケン、まあ、そう焦るなよ。
久しぶりなんだし、もう少し話をしようじゃないか」
そう言うとトーサンは、ジャンパーのポケットからタバコを取り出して火を点けた。紫煙が目の前の坂道をゆっくりと駆け上がっていった。
「なあケン・・・
俺とケンとでこの道を今まで何回通ったことだろうなぁ。
雨の日も、風の日も、よくぞ毎日散歩に来たもんだよ。
ええと・・・
朝と夕の1日2回ずつだから・・・
1年間で・・、7百・・30回か?
それが、お前が1歳くらいから去年まで欠かさずなんだから、
15年以上ってことだからなぁ・・・
ええと・・・、う〜ん、そうだよ。
かれこれ1万回以上にもなってるんだなぁ。
こりゃあ驚いた。
凄いことだぞ、これは。
ま、待てよ。
・ ・・と言うことは、だ。
メシも朝晩1日2回ずつだから・・・
カーサンもケンに1万回以上メシをあげてるってことか。
こいつも凄いじゃないか。
考えてみると俺たち夫婦とケンとの17年間ってのには、
本当にいろんなものが詰まっているんだなあ・・・」
へええ、1万回以上かぁ・・・
トーサンとじじいいの話を聞いて、俺さまは正直じじいが羨ましくなった。でも、それとともにこの今日の1回は、恐らく最後の1回になるのかなあと、そんな風に思っちまった。
「そろそろ行くとするか?」
トーサンの声にじじいは、すぐさま「わう」と答えたけれど、尻尾はピンと立ったままで、出発前の様にぶんぶんとは振られていなかった。きっとじじいは覚悟を決めたんだ。
じじいとトーサンは休憩地点と峠の半分近くまで来ている。最初こそ威勢が良かったじじいだったが、歩き初めて3分が過ぎた頃から様子がおかしくなってきた。息は荒いし、足元もふらふら、とても見ちゃあいられやしない。でも、じじいには諦める気はさらさら無いらしい。
でも・・・
「ケ、ケン!大丈夫かぁ!」
じじいは、坂道の半分を過ぎた辺りでぱたんと倒れ込んじまった。何回も起き上がろうとしたんだけれど、結局は立てずじまいのまま荒い息を吐きながら目を閉じて、尻尾もぱたりと地面に落ちた。やっぱり今のじじいには、峠まで続く上り坂は、無謀を通り越して、もう無茶だったんだ。
俺さまとシロは慌てて駆けつけた。俺さまたちが覗き込む中、トーサンは、じじいの背中を優しくなでている。じじいはぜいぜい言ってるだけで、ぴくりとも動きやしない。トーサンが心配そうにじじいを抱えた。トーサンはちょっと驚いた表情で、そっと頬擦りしながらじじいに言った。
「ケン、随分と軽くなってたんだなぁ。
まるでお前が来た子犬の頃みたいだ。
それなのに俺は、ちっとも気づいてやれなかったよ・・・」
トーサンの言葉にじじいは、薄目を開けて何か言おうとしたけれど、
「・・はぁ・・・ひゅう・・・はぁ・・」
じじいからは、空気が漏れるような荒い息が出るばかりで、それはとても返事とは呼べるしろもんじゃなかった。
トーサンは、坂の中腹でじじいを抱いたまま、暫くの間立ち尽くしていた。天を仰いだりして、何か迷っている風な顔つきだった。川上からの心地よい風が吹いて、坂の上の枯れ葉がかさかさっと言ったのを切欠に、トーサンは もう1度じじいに聞いてみた。
「ケン、どうする?
このまま帰ろうか? それとも・・・」
トーサンの言葉が終わりきらないうちに、じじいは体中の力を振り絞って応えた。
「はふ・・」
じじいには、もういつもみたいに「わう」と応えるだけの力が残っていなかったけれど、今の「はふ」ってのには、妙な力強さがあった。それからじじいは、自分をじっと見つめているトーサンの顔を、急にぺろんと舐めた。トーサンは、びっくりしながら笑った。
「こいつめ・・・」
じじいの鼻がク〜ンと鳴ったように聞こえたのは、俺さまの空耳じゃあないと思う。
「よし、河原まで抱っこしていってやるよ」
じじいはもう1度「はふ」と空気が漏れるように、でも力強く吼えた。
《つづく》
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