ケンと シロと そしてチビ 第12回
じじいが立った。
立ち上がったんだよ、あのじじいが。
この1年ばかりゴロゴロしっ放しで、役立たずの無駄メシ食いだったあのじじいが、桜の葉っぱが見たいばっかりに、ついに立ち上がったんだよ。俺さまとシロが土手から運んできて屋根に並べられた桜の葉っぱは、ちょうど10枚目になっていた。
俺さまの作戦が、見事図に当たった、と言いたいところだけど、本当のところを言うと、最近のじじいときたら、俺さまやシロに乗せられてる振りをしながらその実、何か決意めいたものを感じさせるんだよな。なぜだろうって、それを考えちまうと、俺さまの中にまた、ある嫌な考えが頭をもたげてきちまう。でも、俺さまはもう、深いことは考えないようにしようと思った。じじいが立った。立てるようになった。それは、紛れもない事実なんだから、もう、単純に喜んじゃおうって、そう自分に言い聞かせている。
「チ、チビ、じいさんが立ち上がったって?」
午前中いなかったシロは、どこで聞きつけたんだろう。勝手口から犬小屋の脇を抜けて、俺さまのお気に入りの南天の木陰に、慌ててすっ飛んできやがった。
「ああ、立ったよ。
前みたいに屋根に前足引っ掛けてもたれかかるような、
あんなみっともない立ち方じゃないぜ。
4本の足で、しっかりと、立ち上がったんだ。
間違いない、カーサンも見たんだから」
「やったな、じいさん。
チビ、ありがとう。
これもみんなチビのおかげだよ」
こんなシロの言い方が、俺さまにはやけに引っ掛かっちまう。
(ありがとうって、別にお前のためにやったんじゃねえよ。
こいつったら、じじいの何様のつもりでいるんだよ)
シロに悪気なんてこれっぽっちもないのは分かっているのに、なぜか俺さまはそんな風に感じちまう。でも直後、俺さまはさすがに考え直して、反省した。
(なに考えてんだ、子どもだな俺さまは。
シロに嫉妬なんてみっともねえぞ。
今日はせっかくのめでたい日じゃねえか)
俺さまは、何事もない様にシロの差し出す右手を軽く握った。でも、これが俺さまの本音なんだろうな。
「で、じいさんは?」
「ああ、本当は自分でも相当嬉しいんだろうに、
それを悟られまいと無駄な努力をしてたよ。
『いいか、チビ。わしゃな、立とうと思えばいつだって立てたんじゃよ』
とか言っちゃってさ・・」
俺さまは、じじいの口真似をして言った。
「ははは、そっくりだよ。
でもそれって、じいさんらしい台詞だな」
シロは、笑いながら犬小屋を見た。
「ちょっと疲れたんだろう。
今は、ぐっすり寝ちまってるよ」
犬小屋のじじいは、いつもとちょっとだけ違った寝顔をしているように、俺さまには見えた。
「本当だ、よく眠っているね。
なんか口元が弛んで見えないかい?」
「シロもそう思うか?
じじいの奴、きっと夢の中でそこら中駆け回ってんだぜ」
シロは、笑いながら何度も頷いてから言った。
「いよいよ本格的な歩く練習だね。
こっからが本番って訳だ。
桜が咲くまであと5ヶ月くらいかなあ。
年内には、近場の散歩くらいまでは、行きたいね」
「・・・・・・・・」
(そうだった。シロにはそこまで・・・)
俺さまはこの間のシロとのやり取りを思い出していた。じじいがそんなに長く生きられないってのはシロも察したんだろうけど、この冬を越せないだろうってヤブ先生に言われたことまでは、俺さまはシロには伝えていない。シロもまさかじじいの寿命が、そんなに残り少ないだなんて思ってもいないに違いあるまい。本当は花見の話にしたって、じじいに運動させるための俺さまの方便だったんだけど、じじいもシロもあんまり一生懸命になってるし、実際に効果だってぐんぐん上がってきてるもんだから、いつの間にか俺さままでその気になってきちまってたんだよ。もしかしたらってね・・・
「チ、チビ、どうしたんだい?
ぼおっとしちゃって・・・」
(いけねえ、いけねえ。
考え事は厳禁だ。
こんなんじゃ、カンの鋭いシロにまた感づかれちまう)
「あ、い、いや、ごめん、ごめん。
じじいが駆け回ってるの想像したら、可笑しくなっちゃってさ。
だって、俺さまが来た3年前だって、
じじいはヨタヨタ歩くのが精一杯だったんだからな」
「そりゃそうだね」
俺さまたちは、小さく笑うとにやけて寝ているじじいをもう1度見た。河原では、真っ赤な桜の葉が、もう散り始める頃だ。
《つづく》
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